東京五輪が近づき五輪批判がタブー化するなか、勇気ある渡辺謙の五輪批判
五輪のために、実際に命が失われる事態まで起きている。2017年には、新国立競技場の地盤改良工事で施行管理をしていた23歳の男性が過労自殺している。彼が自殺する1カ月前の時間外労働は200時間を超えていたという。しかも人命に関わる重大事態が起きているにもかかわらず、安倍政権はそれを改善する気もない。今年の4月から残業時間の上限規制が始まるが、安倍政権はそこから運輸と建設への適用を猶予する方針を固めている(これらの業種での上限規制は2024年4月より適用)。この猶予期間が設けられた背景には、東京オリンピックに向けての人手不足を予測した業界による要請があると報じられている。東京オリンピック直前にもなれば、運送や建設の分野でさらにひどい過重労働を強いられる人が出てくる可能性は高いだろう。
さらに、東京オリンピック招致を巡る贈収賄疑惑における、JOCの竹田恒和会長に対するフランス司法当局の調べはいまでも続いている。
しかしその一方で、安倍政権が標榜する五輪至上主義は日本社会の隅々にまで行き渡っており、「オリンピックの悪口を言う奴は国の事業に協力しない非国民」といったムードが漂いつつあり、五輪が近づくごとに「オリンピック批判」のタブー化はますます進行している。
そうした言論状況にあって、今回の渡辺謙の発言は非常に貴重で意義のあるものだ。「芸能人の政治的発言」が批判されがちな日本だが、世界を舞台に活躍する渡辺はこれまでも、政権批判につながる問題にも臆することなく発信してきた。
「核兵器禁止条約」に向けた交渉を2017年にスタートさせる決議に対して日本が反対した際には〈核を持つ国に追従するだけで意見は無いのか。原爆だけでなく原発でも核の恐ろしさを体験したこの国はどこへ行こうとしているのか、何を発信したいのか〉とツイートし、また、安保法制の際にも〈一人も兵士が戦死しないで70年を過ごしてきたこの国。どんな経緯で出来た憲法であれ僕は世界に誇れると思う、戦争はしないんだと!複雑で利害が異なる隣国とも、ポケットに忍ばせた拳や石ころよりも最大の抑止力は友人であることだと思う。その為に僕は世界に友人を増やしたい。絵空事と笑われても〉とつぶやいて戦争反対の思いを明確に発信していた。
今回、渡辺謙が発した「復興五輪」に対する思いは、もっと広く伝わるべきものだ。東北や多くの国民の生活をないがしろにしたまま東京オリンピックが開かれるとするなら、東京オリンピックとは一体なんのためのもの、誰のためのもなのか。現状では、安倍政権と利権をもつ者の、国威発揚と懐を満たすために利用するだけの醜いイベントでしかない。このまま来年の夏を迎えたとして、その後には何が残るのか。
莫大な税金をかけた空虚な大型施設が残されるだけで、何の意味もないものになってしまうだろう。そんなものであれば、東京オリンピックなど開かれないほうがいい。
(編集部)
最終更新:2019.02.17 10:34