「官邸を司令塔に働きかけた」と宣伝も、解放情報さえ把握できず
川上氏によれば、安田氏を拘束したとされているのと同じ組織が、安田氏のあとに拘束した3人のスペイン人ジャーナリストやドイツ人の女性ジャーナリストは、それぞれの政府が動いた結果、10カ月で解放されている。〈報道を見るかぎり、単純な身代金交渉ではなく、人質が引き渡されるトルコや、シリア反体制組織に影響力を持つアラブ・湾岸諸国と連携した上で人質の解放が実現している〉という。 他方、日本政府の動きはどうなのか。川上氏はこう述べている。
〈日本政府が安田さん解放のために動くとすれば、基本的な情報の確認が必要なはずだが、主要な情報確認先で、日本政府が接触してきたという感触は得られなかった〉
〈拘束されたスペインやドイツのジャーナリストが1年以内に解放されているのに、安田さんが3年を過ぎても解放されず、解放に向けた手がかりもない最大の理由は、政府がこの問題で真剣に動いていないことだと考えるしかない。本来ならとっくに解決しているはずの問題であろう〉
少なくとも、日本政府の不作為によって、安田氏の解放が長引いていたのは事実なのだ。
そして、今回、安田氏救出にいたったのも、日本政府がカタールやトルコを動かしたということでなく、ただの「棚ぼた」だった可能性が高い。安田氏はシリア北西部のイドリブ県の反体制派武装勢力に拘束されていたが、アサド政権の攻勢をうけ、そのイドリブ県の反体制派拠点も危うくなっていた。
そして、交渉に乗り出したカタールも、同国が中東で孤立している状況を改善するため、トルコと協力してジャーナリストの救出に尽力、ジャーナリストを殺害したサウジアラビアとの違いをアピールする狙いがあった。
つまり、こうしたシリアをとりまく情勢の変化がたまたま、救出という方向につながったというのが、多くの中東の専門家の分析なのだ。
だいたい、菅官房長官の言うように「官邸を司令塔にして働きかけた結果」だったのなら、なぜ、日本政府は安田氏解放の情報を把握することさえできていなかったのか。
菅官房長官によると、安田氏の解放情報を日本政府がカタールから得たのは23日午後9時ごろだというが、このときすでに安田氏はトルコの入管施設にいた。また、在英のシリア人権監視団は〈4日ほど前にシリア領内でトルコの仲介により、トルコと関係の深い非シリア人武装組織に引き渡された〉(時事通信10月24日付)と述べてており、数日前から、「安田氏解放か」という情報は流れていた。ところが、日本政府はまったくそれを把握しておらず、23日夜になってからようやくバタバタと動き始めているのだ。
政権関係者も一部のメディアで、「カタールやトルコと連携を密に取り始めたのは、解放の情報をつかんだ23日から」とこれを認めるような発言をしていたが、この解放前後の情報の蚊帳の外状態をみていると、日本がこの安田氏解放交渉を主導していたとはとても思えないのである。
「実際、官邸も外務省も日本が積極的に動いた結果だとしきりに喧伝しているわりに、何をやったのかというディテールがまったく出てこない。菅官房長官も具体的な話を聞かれると、言いよどんでしまう。これはたいしたことをやってなかったからでしょう。おそらく、日本政府がこの間、やっていたことといえば、カタールの動きを情報収集して、定期的に連絡を入れていたくらいのことじゃないでしょうか。しかも、やっていたのは外務省で、官邸が主導したというのはありえない」(全国紙政治部記者)