日本国憲法を「押し付け憲法」と呼ぶ人々に毅然と反論した内田康夫
断っておくが、赤旗に登場したからといって、内田氏は共産党員でも左翼でもない。むしろ、愛国主義的な一面ももちあわせていた。
彼の作品のファンにはよく知られているが、「浅見光彦シリーズ」では「靖国問題」が物語の1ピースとして登場したことがある。たとえば、1984年に出版された『津和野殺人事件』(徳間書店)では、靖国神社への参拝に熱心な浅見光彦の母・雪江が、そういったことにあまり関心のない光彦に「国のために亡くなった人たちの霊にお参りするのは、為政者にとって当然のつとめである」といった演説をぶつシーンが存在する。
それは作者本人の考えともある程度シンクロしているもののようで、「SAPIO」(小学館)2008年2月13日号のインタビューで内田氏は、政治家の靖国参拝をめぐる問題についてこのように語っている。
「中国や朝鮮の人にとっては靖国神社は不愉快な存在でしょうけれど、しかし、外国に言われたから参拝を控えるというのは主体性がなく、姿勢として美しくないと思いますね。こういうことをあまり主張すると中国へ旅行に行けなくなっちゃうかもしれませんが。結局、政治家は経済制裁が怖いんだと思います。例えば、中国と今ほど経済的な結びつきがなかった時代には、何も気にせず参拝していたわけでしょう」
しかし、そんな内田氏でさえ、ここ数年、とくに第二次安倍内閣発足以降の極右化に対しては強い危機感を抱くようになり、戦後民主主義が崩壊しつつある現状に対して警鐘を鳴らすような発言が目立つようになってきていた。冒頭で紹介した安保法制以降も、そうした右傾化を批判する発言を口にしている。
たとえば、15年には毎日新聞の読者投稿欄「みんなの広場」に文章を投稿。安倍首相を含めたネトウヨ層が、日本国憲法を「押し付け憲法」と呼ぶ状況に対してこのように反論した。
〈政治家、評論家に限らず、一般国民でも、改憲論者の多くが憲法改正を必要とする名目の第一に「押しつけられた憲法だから」という理由を掲げる。終戦直後の混乱期に敗戦国日本が戦勝国側の指導を受け、明治憲法を捨て新たに民主憲法を制定したことは事実だ。しかし、それを「押しつけられた」ものという認識はない。むしろ、帝国主義と軍国主義のもと、一方向しか見えていなかった国民に、広い視野と新たな価値観を与えてくれた贈り物として、大切にしていきたいものである〉(15年6月9日付毎日新聞朝刊)