事実、世界を見渡しても、多くの国で死刑制度は廃止されている。国際NGOアムネスティによれば、2015年末時点で、全犯罪に対して死刑を廃止した国は102カ国、執行を停止した事実上の死刑撤廃国も含めれば140カ国にのぼる。
これは国連加盟国の3分の2を超えるものだ。
先進国では、この傾向はさらに顕著だ。死刑制度撤廃を加盟条件にしているEU加盟国はもちろん、スイス、ノルウェー、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、メキシコ、トルコ、イスラエル……。実は、OECD参加35カ国の中で、死刑制度を存続させているのは、アメリカと韓国、日本のみ。しかも、アメリカはこの10年で死刑執行したのはテキサス州など、一部の州に限られている。韓国は1998年の金大中政権発足以降刑が執行されておらず、2007年にはアムネスティに事実上の死刑廃止国と認定されている。あのロシアでさえ、死刑執行は1996年を最後に停止し、その後憲法裁判所も死刑を禁止しており事実上廃止されている。いってみれば、国家として死刑を積極的に執行している先進国は、日本だけなのである。
そして、日本と同じように、昨年死刑を執行した国は25カ国程度あるが、そこには、中国、イラン、パキスタン、サウジアラビア、インド、北朝鮮(非公開)などの名前が並んでいる。
これだけをとっても、いかに、死刑制度というのが民主主義に反する制度であるかがよくわかるだろう。事実、死刑制度を廃止する国、死刑執行を停止する国の数、国連の「死刑の廃止を視野に入れた死刑執行の停止」を求める決議への賛成国は年々増加している。
ところが、日本では全く逆の現象が起きている。メディアや世論の「死刑制度」を求める声がどんどん大きくなっているのだ。
いったいなぜか。死刑制度を支持する人たちがまず口にするのは、犯罪が凶悪化しており、抑止のために必要という論理だ。
しかし、これはデマに近い。というのも、この20年間の犯罪統計を見れば、凶悪犯罪や殺人事件は明らかに減少傾向にあるからだ。増加しているように見えるのは、厳罰化や予算拡大を狙う法務当局・警察の情報操作と、それを受けたマスコミの過熱報道が原因だろう。
そもそも、「死刑があればそれを恐れて凶悪犯罪が減少する」という“抑止効果論”も、「根拠がない」というのが世界の共通認識だ。たとえば、1981年に死刑を廃止したフランスの統計でも廃止前後で殺人発生率に大きな変化はなく、1997年12月に1日で23人が処刑された韓国においてもやはりその前後で殺人発生率に違いはなかったという調査報告がなされている。他方、人口構成比などの点でよく似た社会といわれるアメリカとカナダを比較すると、死刑制度を廃止して40年が経つカナダの方が殺人率は低いというデータが現れている。