実際、朝日の論説主幹や特別編集委員らが持ち回りで担当する週一コラム「日曜に想う」で、星氏は他の執筆者と比べて政権批判や護憲のトーンが薄い。また、改憲や特定秘密保護法、増税などの政策面については、批判をするにしても慣例重視の“手続き論”に終始する印象で、自身の政策論はほとんど述べない。
そんな“バランサー”的な立ち回りが目立つ星氏だが、ごくごくまれに、その政治的スタンスが垣間見える瞬間がある。たとえば集団的自衛権について、一昨年の行使容認閣議決定前、このように朝日紙上で書いていたことがあった。
〈経済も軍事も台頭する中国と向き合わなければならない。そのために、民主主義や人権といった価値観を共有する米国との同盟関係を固める必要がある。そこは、多くの国民がうなずく点だ。その手段として集団的自衛権を行使できるようにすることは、将来の選択肢としてあり得るだろう〉(朝日新聞2014年03月23日付朝刊)
一応注釈しておくと、星氏はこの後やはり与党協議や閣議決定のみで憲法の解釈変更を行うことに疑義を呈するのだが、朝日という言論空間を考慮すれば、星氏の建前はむしろ後者で本音が前者とも受け取れる。なお、星氏はこの稿でも「稚拙な結論避けよ」として筆を置いているが、彼の語法は往々にして「与野党の深い論争を期待する」というようなどっちつかずの結論か、でなければ単なる“政局ウォッチ”の感想だ。
少なくとも、この人物が横暴としか言いようがない安倍一強政治のなか、メディアに求められる“権力批判に一歩踏み込んだ番組づくり”を担うとは考えられない。
事実、リベラル派の論客からはすでに星氏に対する懸念が出ている。たとえば、評論家の佐高信氏は、星氏を田崎史郎・時事通信解説委員や田勢康弘・元日経新聞論説副主幹と同列に見なして「骨なしクラゲ」とまで評している。また、政治学者の中野晃一・上智大学教授は「週刊金曜日」(金曜日)15年12月25日・1月1日合併号で、星体制の『23』にこんな危機感を表明していた。
「やり方として非常に巧妙なのは、岸井さんから星さんに変わったとき、いろんなことを追ってない人から見れば、すーっと静かに右にずれていくのがわからないようになっています。同じ番組を見ていたら、『朝日新聞』の新しい人が来て、当たり障りのない範囲でちょっと批判っぽい感じのことを言っていって。実際はどんどん右にずれている」(「週刊金曜日」2015年12月25日・1月1日合併号/金曜日)