安倍首相のコンプレックスはそれだけではない。意外なことに岸家の養子となった5歳年下の実弟・岸信夫議員(元外務副大臣)に対しても複雑な感情、コンプレックスを抱いており、それが政治家となるひとつの動機として存在することだ。
安倍家の3男として生まれた信夫だったが、生後すぐ子どものいなかった岸信介の長男夫妻の養子に出されている。
「長男の寛ちゃんは安倍家の跡取りとして見られていたし、総理大臣の岸家は弟の信夫君が継ぐことになった。子供心にもやっかみがあったのではないでしょうか」(安倍・岸家を長く支えた関係者)
同書はこんな証言を掲載した上で、このような風景を描き出す。
〈岸の愛情が“内孫”である信夫により多く注がれるようになったという身辺の変化を感じ取っていたのかも知れない。実際、信夫が生まれたあと、南平台の岸邸には、安倍が“おじいちゃんを弟に奪われた”と感じる光景があった〉
安倍首相が政治家になると言い出したのは、その頃からだったという。
大好きなおじいちゃんを取られた。自分は安倍家と岸家の跡取りではない。ならば自分が父や祖父の後を継いで政治家になる。幼少期の思いとはいえ、その動機はコンプレックスに満ちあふれている。
また本書では、安倍首相が大学を卒業した後アメリカに留学したのは「単なる遊学」であり、極度のホームシックから月10万円ものコレクトコールがあったこと、神戸製鉄での工場勤務や相部屋の寮生活に耐えられず、こつ然と姿を消したことなど、数々の興味深いエピソードが綴られる。
さらに自分の意見と違うことを言われると“キレる”ことや、“反対意見に耳を塞ぐ”ルーツ、またかつては「弱い人たちに光を当てるような政治家になりたい」「(岸時代の安保への反発に対して)政治家がうまく国民に説明していないからじゃないか。自分ならもっとうまく説明できるのに、とも思っていた」という現実とは正反対な発言など、突っ込みどころ満載の評伝でもある。
努力もしないのにネガティブな学歴コンプレックスやルサンチマンを持ち、辛いことがあるとすぐ逃げ出すお坊っちゃま。これが現在の日本の総理大臣・安倍晋三の本質だ。そんな幼稚なメンタリティを持ち続けた挙げ句、祖父の「悲願」「教え」をただただ追随し、平和憲法を改正しようと躍起になっているのだ。この事実には改めて、恐怖を感じずにはいられない。
(野尻民夫)
最終更新:2015.12.02 07:21