たしかに「血」や「生まれ」を理由にして根拠なく個人を貶めることは許されない。だが、ヘイトスピーチの大前提は、「本人には変更不可能な事柄」であることだ。安倍首相の場合、華麗なる一族に生まれ、折に触れその政治一家の「血」を誇ってきた。しかも、大学卒業後は神戸製鋼に入社したものの、父の代からつづく地盤を自らの意志で受け継ぎ、政治家となっている。その「血」や「生まれ」は差別されるどころか、安倍本人が自らすすんで大看板に掲げているではないか。そもそも「タカ派の右翼」という言葉は単純に彼の政治思想を批評したものに過ぎず、何の差別性もない。さらに祖父・岸信介については、安倍自身が敬愛と影響を常日頃公言しており、その政策や思想の背景に岸の影響が大きいことは明白だ。一方で父方の祖父・安倍寛については一切語らないことを考えれば、岸の思想的影響を安倍自身が選び取っていることは明らかだろう。最高権力者の政策や思想の背景にある家族関係やルーツを検証することと、差別とはまったくちがう。都合が良いときは「政界のサラブレッド」と呼び、都合が悪くなると「ナチスの発想だ」と批判するのは、あまりに無節操ではないか。
だいたい、この国の最高権力者への批判を、在日や被差別部落の人びとが受けている変更不可能で根拠のない差別と混同して〈ヘイトスピーチの一番の被害者〉と言い切る時点で、これ自体が差別を利用した悪質な異論封じと思わざるを得ない。
もうすでに彼らの主張は詭弁にすぎないことがおわかりかと思うが、同誌の反論はまだつづく。なかでも同誌が“ヘイトスピーチ認定”しているのは、『日本戦後史論』(徳間書店)における内田樹と白井聡の発言である。
たとえば、「安倍首相はたぶん人格乖離しているんだと思います」という内田の発言に対し、同誌はこのように批判する。
〈障害を理由に人を差別的に扱う言葉がヘイトスピーチであるならば、この内田の言説は立派なヘイトスピーチであろう〉
あの、あなたがたはほんとうに『日本戦後史論』を読んだの?と問いたくなるが、当然ながら内田は唐突に「人格乖離」などと言ったわけではない。「積極的平和主義」や「歴史認識」について極端な政策を次々と打ち出していることを語ったのちに「人格乖離」と表現し、安倍首相本人を知る人物が「とてもいい人」と語っていることと「政治家になるとまるで別人に変わる」ということを挙げて、「生身の自分の弱い部分を切り離して作ったバーチャル・キャラクターだから、やることが極端なんです」と論評しているのだ。病名としての“人格乖離”ではなく、「やることが極端」ということの比喩として使っているだけだ。