とはいえ、さすがに田原に遠慮してか、いつものような口汚い罵りやヘイト発言は影を潜めている。また真偽不明な事実を元に中国や韓国を攻撃しようと試みているものの、前述のように田原から事実誤認などを指摘されるため、いつもほどの勢いはない。
しかし、そんな抑え気味の百田センセイが豹変した瞬間がある。それが朝日新聞に話が及んだ時だ。ここでは我が意を得たとばかりに、吠える吠える吠えまくる! そんな百田センセイの朝日批判の発言によ〜く耳を傾けて欲しい。
「(朝日のどこが気に食わないかとの質問に)反権力のためなら捏造も辞さないという姿勢です。(略)しかも『ない』ことを『ある』という」
「最初に結論ありき。事実を発掘して客観的に、冷静に伝えるジャーナリズムの姿勢を放棄している」
「朝日新聞の勝手な思い込み」
「8月5日のいわゆる検証記事は、まったく検証になっていない。なおかつ、記事を取り消したにもかかわらず、謝罪を一切していない。しかも、強制連行の証拠はないが、やっぱり自由を奪われた強制性はあった、と開き直った記事だと思います」
「最初の記事を書いた記者が『話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった』ことはわかった。しかし、慎重な記者がものすごく巧妙なウソに騙されたのか、アホな記者が具体的で詳細なだけの作り話を信じたのか、わからない」
「ふつうの記者ならば、裏を取るのが当たり前でしょう」
「記者としての当たり前の手続きである裏取りをせずに記事にしたということはですね、ようするに最初から怪しい部分に目をつぶっているわけです」
「朝日新聞は、『事実』より前に、自分たちの『目的』があるんです」
「自分たちが主張したい記事を書くためならウソを捏造して出してくる」
「虚報や捏造という手段に訴えてまで『反体制を貫く』ことが、自己目的化している」
「そのためには、いかに人を傷つけてもいい。あるいは、どれほど人が傷つくかを考えない。これは、想像力があまりにも欠如していますよ」
す、すごい。まったく同感です! ただし『殉愛』騒動を念頭に、「朝日」や「記者」という主語を「百田」と入れ替えれば……。そう、同書の朝日批判は「それはお前のことだ!」と突っ込みたくなる発言ばかりだったのだ。