実際、菅前首相の国葬後の言動が問題なのは、この“見てもない話の盛り込みポロリ”だけではない。
菅前首相が“弔辞の内幕”を自慢げに語るのは、ABEMA NEWSチャンネルの独占インタビューに続いて、『日曜報道 THE PRIME』で2回目。しかし、そもそも、弔辞というのは故人を偲び、故人に捧げる言葉。メディアに出て、故人を偲ぶのならともかく、弔辞をこう考えてつくったとか、こういうギャンブルでこういう表現を盛り込んだとか、いちいち自慢話する人なんて、見たことがない(普通に考えて、一般人の葬式でもそんな弔辞自慢する人って、ほとんどいないだろう)。
まあ、菅前首相といえば、「令和おじさん」としてメディアで話題になった際も、ABEMAやniconicoといった御用メディアの独占インタビューに応じ、意気揚々とその舞台裏を語っていた。その後、首相になって、ポンコツぶりと説明能力のなさを散々批判されていたのが、久しぶりにほめそやされて、「夢よ、もう一度」と調子に乗ったのだろう。
しかし、問題は、その菅前首相の自慢話について「弔辞自慢というのがそもそもおかしい」という指摘をするどころか、「感動した」と大絶賛し、裏話を感心しながら傾聴している御用メディアや評論家たちだ。
今回も、『日曜報道 THE PRIME』では、安倍氏に総裁選に出馬するよう焼鳥屋で口説き落としたことを菅前首相が弔辞で「私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います」と語ったことについて、菅政権で内閣官房参与に引き立てられた宮家邦彦氏は本人を前に「お世辞抜きに日本の外交にとって決定的に大きな達成だった」と称賛。さらに、同じく菅前首相と親密な関係にある橋下徹氏も「安倍氏を総理にしたことが自分の人生のもうすべてだという関係は、なかなか普通の社会人ではこんなことない。この言葉で、なにか菅氏のすべてを感じた」などと熱く語った。
しかも、弔辞が“感動的”だったというだけで、御用マスコミや政権応援団の間からは「菅氏が再登板すべき」などという“首相返り咲き待望論”まで出てきている始末だ。
まったく何をバカな、という話だろう。言わずもがな、菅前首相は総理在任中、新型コロナ感染拡大期に東京五輪を強行開催させ、現在の岸田文雄首相よろしく「説明が足りない!」と批判を浴びただけでなく、説明と称するものがまったく説明になっておらず、「ポンコツ」と揶揄されるように。国会も開かず、まともなコロナ対策も取らずに権力闘争に明け暮れ、その結果総裁選不出馬に追い込まれて事実上ケツを割った無能中の無能首相ではないか。その「ポンコツ」を、“エモい弔辞”ひとつで再評価するなど、トチ狂っているとしか言いようがない。