その象徴とも言えるのが、山縣有朋の歌を読み上げたくだりだろう。菅前首相は弔辞でこう語っていた。
〈衆議院第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。
ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。
そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。
総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ〉
ようするに、菅氏は、安倍氏の死後、倒れる直前まで読んでいた本を発見。その読みかけの最後のページに、暗殺された伊藤博文を偲ぶ山縣有朋の歌が載っており、それがいみじくも、自分の思いを表していると語ったのだ。
ほんとうなら、「運命を感じさせる秘話」「ぐっとくるいい話」ではあるが、実際はそんなドラマチックな話ではまったくない。
そもそも、この山縣有朋の歌を紹介すること自体、ある政治家が他の人を追悼するために使ったネタの使い回しにすぎなかった。
ある政治家とは、ほかでもない安倍元首相だ。安倍氏は今年6月17日、Facebookにこう投稿している。
〈一昨日故葛西敬之JR東海名誉会長の葬儀が執り行われました。
常に国家の行く末を案じておられた葛西さん。
国士という言葉が最も相応しい方でした。
失意の時も支えて頂きました。
葛西さんが最も評価する明治の元勲は山縣有朋。
好敵手伊藤博文の死に際して彼は次の歌を残しています。
「かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ今より後の世をいかにせむ」
葛西さんのご高見に接することができないと思うと本当に寂しい思いです。
葛西名誉会長のご冥福を心からお祈りします。〉
葛西氏といえば、安倍元首相の最大のブレーンと言われていた極右財界人で、第一次安倍政権下の2006年には国家公安委員や教育再生会議委員に就任。その後の首相再登板も猛烈に後押しして、第二次安倍政権以降は、首相動静で確認できるだけでも何十回も顔を合わせるなど、べったりの関係を築いてきた。安倍政権の政策への影響力もすさまじく、NHK会長などさまざまな人事まで左右していたことはあまりに有名だ。
その最大のブレーンだった葛西氏が亡くなったとき、安倍元首相は葬儀で弔辞を述べたのはもちろん、さまざまなメディアで追悼の言葉を発したが、そのとき、持ち出していたのが、今回、菅氏が紹介した山縣の歌だった。
これは、安倍氏にその歌が載っている評伝『山縣有朋』を薦めたのが、葛西氏だったからだ。
安倍元首相は、首相在任中の2014年12月27日にホテルオークラの日本料理店「山里」で葛西敬之JR東海名誉会長(当時)、北村滋情報官(当時)と会食しているが、その席で正月休みの読書におすすめの本を葛西氏に尋ね、葛西氏から件の岡義武の『山縣有朋』を薦められたと報じられている。ちなみに、岡は葛西氏の東大時代の恩師で、『山縣有朋』や『明治政治史』についてさまざまなメディアで言及しているし、葛西氏が山縣有朋を信奉しているのも有名な話だ。
ようするに、極右国家主義政治の師匠とも言える葛西氏から“日本の軍国主義路線の大元”山縣の評伝を教えてもらった安倍氏が、その師匠の追悼に本に載っている山縣の歌を使ったのである。実際、安倍氏は6月24日発売の極右雑誌「WiLL」(ワック)8月号に掲載された櫻井よしこ氏との対談でも、葛西氏をしのび、葛西氏が山縣有朋を敬愛していたこと、葛西氏から岡義武の『山縣有朋』を薦められたことなどを語った上で、「まさに、私たちが葛西さんに贈りたい歌です」として、この歌を紹介していた。
ところが、菅前首相は今回、故人である安倍氏が他の人を偲ぶために使っていたその歌を、何の説明もないまま、今度は自分の心情の表現として借用してしまったのだ。これって、弔辞のマナーとしてありなのだろうか。