国際オリンピック委員会(IOC)総会で2020年五輪の開催地に東京が選ばれたのは2013年9月7日。それからわずか1カ月後の10月12日、新聞が一斉に、〈安倍晋三首相が2020年、東京五輪開催に向けた準備を総括する大会組織委員会会長に森喜朗元首相(を充てる方向で調整していることが分かった)〉と報じた。
「実は、森さんの五輪組織委会長は、招致決定前から決まっていたようです。当時の安倍首相と森氏は2013年8月に少なくとも2度、会っています。一度目は山口で、下村文科相をまじえて。二度目は笹川陽平日本財団会長の別荘に一緒に泊まり、ゴルフを楽しんでいる。そのときに、招致したら組織委の会長を森氏にやらせるという話が出ていたようです。さらに、9月に入って、森元首相が直接、安倍首相のところに『おれにやらせろ』と念押しの直談判をしてきたともいわれています。この圧力に押される形で、安倍首相が森氏の就任を決定。10日に官邸から既成事実化のための新聞辞令として情報がリークされたということのようです」(全国紙政治部記者)
しかし、この動きに、反発していたのが当時の東京都知事、猪瀬直樹だった。猪瀬都知事は会見で、こうした報道について「森元首相の話はどこから出たか知らないが、全然議題に上がっていない」「(権限がない場所で)決めても、決めたことにならない」としたうえで、こう断言したのだ。
「(会長は)東京都とJOC(日本オリンピック委員会)で決める。いろんな人が今、こういう時期に便乗して出てくる」
「人選は安倍首相がやるわけではなく、ぼくのところでやる」
猪瀬氏自身の体質はともかくとして、この主張は正論だった。五輪は都市開催であり、決定権は都とJOCにある。
だが、森の会長就任を阻止しようとする猪瀬氏に対して、官邸=森喜朗サイドは猛然と反撃に出た。まず、森氏が「文藝春秋」2013年11月号に手記を寄せたのだが、そこにはこんな猪瀬批判が書かれていた。
「(猪瀬知事が)自分の力でやったと思い込んでいるところが可愛らしいけど、彼が英語でスピーチしたところで招致には大した影響はない」
「むしろ何も知らない猪瀬知事で正解だった。逆にもう少し五輪招致に首を突っ込んでいたら、我々の描いた戦略どおりには行かなかった可能性もある」
また、裏では、官邸サイドから、猪瀬知事やJOCに相当な圧力がかかったという。
「猪瀬さんのところには、いろんなルートで『森さんをなんとか会長に』という話がきていましたし、JOCの竹田恒和会長も途中から完全に、『森さんでいいんじゃないか』という感じになってしまっていた。だが、猪瀬さんはがんとして首を縦にふらなかった」(東京都関係者)
ところが、その少し後の11月末、猪瀬知事に徳洲会グループからの5000万円が発覚。猪瀬氏は五輪どころではなくなり、官邸はその間に一気に、外堀を埋めて、森氏の会長就任の正式決定に向けて動き始めたのである。
実際、猪瀬氏にスキャンダルが浮上する前後の11月、当時の安倍首相と森氏は首相動静で公表されているだけでも、実に3回も会っていた。いくらかつての親分だからといって、現役首相が政治家を辞めた元首相にこの頻度で会うのは異常だろう。
「そんなところから、猪瀬氏に近い関係者の間では、このスキャンダルが官邸=森サイドの仕掛けだったのではないか、という疑念も持っていたようです。第一報は朝日新聞のスクープだったんですが、森さんが流したのではないか、と。まあ、そこまではちょっと陰謀論がすぎるとしても、官邸がこのスキャンダルを使って猪瀬氏に揺さぶりをかけていたのは間違いない。検察が捜査に乗り出したことで、猪瀬氏としても、官邸に逆らえなくなったんでしょう」(政界関係者)