外務省が作成した動画「Rising Sun Flag as Japanese Longstanding Culture(日本の伝統文化としての旭日旗)」は2分程度の長さで、太陽が描かれた古い絵画や大漁旗の写真、自衛隊の船が旭日旗を使っている様子の写真、さらに太陽をモチーフにした北マケドニアやアリゾナ州の旗のデザインなどの画像を見せながら、全編英語でナレーションとテロップが付けられている。その内容は、以下のようなものだ。
「旭日旗は日本の文化の一部です。日本の国旗と同じく、旭日旗も太陽を表しています。旭日旗のデザインは、縁起の良さや成功、ポジティブエネルギーの象徴です。その意匠は、何世紀にもわたって、日本人の生活にとって不可欠なものでした。幸運のお守りとして、たとえば木版画やお相撲さんの化粧まわしにも見られます。
この古くからの伝統は、めでたいものとして現代の生活でも生きています。
たとえば、節句の祝いや還暦祝いや結婚、大漁を願ったり祝ったり、商売繁盛や様々な祝いごと。またスポーツイベントで選手を応援するのにも使われますし、地方のお祭りでも使われています。
旭日旗は、自衛隊の乗り物にも使われており、日本国内でも海外でも様々な場面で、掲げられてきました。
太陽から光が放たれる旭日のデザインは、日本固有のものではありません。
世界の様々な地域で広く使用されています」(編集部訳)
しかしこの主張は、旭日旗の歴史を無視する、欺瞞に満ちた開き直り、歴史修正主義と呼ぶべきシロモノでしかない。詳しくは既報(https://lite-ra.com/2019/09/post-4970_2.html)を参照されたいが、この機会に、日本政府が隠蔽しようとする“旭日旗の歴史” 簡単におさらいしよう。
「旭日旗は日本の軍国主義の象徴である」という韓国など国際社会の批判は、べつに言いがかりでもなんでもなく歴史的事実だ。旭日旗は、戦前・戦中に帝国陸軍の「軍旗」(連隊旗)および帝国海軍の「軍艦旗」として用いられた。それぞれ形が異なるが、現在、海上自衛隊が艦旗として使用している旭日旗は、戦中の海軍から丸ごと引き継がれたものだ。
それら旭日旗は、戦前、どのように扱われていたか。たとえば陸軍では、たんなる連隊の標識にとどまらず「旭日旗=天皇の分身」として、軍旗に関する礼式、取り扱い等も規定された。紛失したり、奪取されることなどもってのほかで、敗北・玉砕の際は連隊長が腹を切り、軍旗を奉焼の儀式にて灰にした(寺田近雄『完本 日本軍隊用語集』学習研究社)。
歴史家の秦郁彦氏によれば、第二次大戦末期には爆薬によって旗手が軍旗もろとも自爆する処置までとられたという(『日本陸海軍総合事典』東京大学出版会)。まさに“狂気”としか言いようがない。
海上自衛隊にそのままの形で引き継がれた、帝国海軍の旭日旗はどのように扱われていたか。1902(明治35)年に海軍少佐・奥田貞吉の名前で著された「帝國國旗及軍艦旗」は、その意匠に〈我帝國ノ武勇ヲ世界ニ輝カセ〉〈帝國ノ國權ヲ地球ノ上ニ發揚セヨ〉という意味があると説明している。つまり、外務省は〈自衛艦または部隊の所在を示すもの〉と一面しか説明せず、完全にネグっているが、歴史的には、たんに船舶の所属を表すだけでなく、国威発揚や帝国主義の正当化を図る示威行為の意図があったのだ。
狂気の象徴だった陸軍の軍旗および海軍の軍艦旗、旭日旗は当然ながら、敗戦後は一度消滅する。ところがその後、海上自衛隊で自衛艦旗として復活する。その背景には、旧海軍出身者の帝国海軍のメンタリティ、「旧軍の旭日旗の思想性」を復活させたいという意図があった(詳しい経緯は既報を→https://lite-ra.com/2019/09/post-4970_2.html)。実際、元海軍軍人であり戦後海上幕僚長も務めた大賀良平氏は、旭日旗復活について、「かつての軍艦旗“旭日旗”が再び自衛艦旗として使えるように決まったこと」に「関係者が感激し狂喜した」と述懐している。
海上自衛隊の自衛艦旗=旭日旗は、たんにそのデザインが戦中と同じというだけでなく、大日本帝国の思想性を継承したものに他ならないのである。