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森喜朗は辞任でも「となりの森さん」は二階幹事長、秋元康などまだたくさん…ブラマヨ吉田、ほんこん、高須院長らは森批判を攻撃

 森会長は“逆ギレ会見”で「邪魔な老害、粗大ごみなら掃いて」などと述べていたが、組織委トップで自民党の最大派閥・細田派をはじめ政界に多大な影響力を誇る森会長を「掃ける」人間などこの国にはいない。逆に、女性芸能人が森会長を非難することにこそ、「掃かれる」覚悟を持たなくてはならないのが現実なのだ。それは、どんな業界や職場でも、組織や町内にも、「女は○○だから」などと言い出す力を持った男性=「となりの森さん」が、女性たちを押さえつけようとしている状況だからだ。

 たとえば、自民党の二階俊博幹事長は五輪ボランティアの辞退が相次いでいることに対して「瞬間的に協力できないとおっしゃったんだと思うが、落ち着いて静かになったら考えもまた変わるだろう」「どうしてもお辞めになりたいということだったら、ボランティアを募集する、追加する」と発言した。つまり、「性差別は許せない」「それを容認する組織でボランティアはできない」という判断は「瞬間的」なもの=冷静ではないいっときの感情であり、その上「変わりはいる」と一蹴したのだ。

 辞退したボランティアには男性もいるはずだが、しかし、二階幹事長の発言には「女は感情的」「女は冷静な判断ができない」という、これまでさんざん繰り返されてきた性差別の台詞が重なり合う。「女は感情的」と言われ、論理的な説明や批判をおこなえば「可愛げがない」と言われる光景は政界でも何度も繰り返されてきたものだが、これも結局は「わきまえているかどうかを決めるのは男」という森会長の態度と同じ男性の権力性、男性支配体制を示すものだ(森会長が謝罪会見で逆ギレしても、麻生太郎財務相が記者に悪態をついても、「感情的」などとは一切言われない)。

 しかも、10日の政府与党連会議後の会見では、二階幹事長に代わって野田聖子幹事長代行が会見をおこなったが、そこで二階幹事長の「瞬間的」発言について問われた野田幹事長代行は「言い間違いというか、うまく伝えられなかったのではないか」などとコメント。「力を積み上げた男性のなかで活躍させてもらってたら、ものが言えない」という鈴木紗理奈の言葉がオーバーラップするかのようだ。

 もちろん、「森さん」がいるのは政界だけではなく、鈴木紗理奈が体験的に語った芸能界にもたくさんいる。

 たとえば秋元康は〈女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい〉(HKT48「アインシュタインよりディアナ・アグロン」)とか〈定期的に恋をしないとね 劣化していくよ 蜘蛛の巣ほら張ってるよ〉(NM B48「恋を急げ」)など数多くの歌詞が女性蔑視であると批判を受けてきたし、AKBビジネスをめぐっては欧米メディアから「性的搾取に関与」などと批判されたことさえある。にもかかわらず、こんな女性蔑視まるだしの人物が、東京五輪・パラリンピック組織委員会の理事を務めているのだ。

 また、松本人志なども、これまで、「好きな人ができたら女はおもしろくなくなる」という差別まるだしの発言をしたり、「我々はセクハラ込みでトークするお仕事」と開き直ったり、セクハラ被害を受けた女性の声を封じ込めようとしたり、抑圧するのが当然であるかのような発言を繰り返してきた。

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