この異例の最終回に、一部では「この数回の放送で、さらに圧力が加わったのではないか」という見方が流れている。
「久米さんは、番組終了を発表した回で、『番組をやめるときは下り坂になってからやめるのが一番良くないというのが僕の持論』と言いつつも『他にも理由は山ほどある。今月4回の放送で丁寧に(説明する)』と言っていた。それが、一切触れないと言うのはどう考えてもおかしい。前々回、田中眞紀子さんがゲストの回に、久米さんはかなり激烈な電通批判をしていた。それで、上層部から何か言われたんじゃないか。久米さんに対してというより、番組スタッフに……。それを察して、久米さんは口をつぐみ、抗議の意味で一切最終回らしい言葉を発しなかったのでは」(長年のリスナーであるメディア関係者)
そういえば、久米は番組中、自分の性格のせいでスタッフに苦労をかけたことを強調、ゲストの伊集院に対して「この人の番組はたくさんスポンサーがついているから」と皮肉交じりに語っていたが……。
ただ、久米のキャラクターを考えると、圧力に屈しておとなしく口をつぐむというのも考えにくい。むしろ、最終回だからこそ、あえて周囲の期待を裏切って、最終回らしくない淡々とした終わり方を選んだという可能性もある。
しかし、いずれにしても、久米自身が最終回でそれまでのような政権批判を口にせず、回顧や総括すらしなかったことで、番組の存在意義や姿勢が再認識されないまま終わってしまうことになる。それはあまりにもったいないので、無粋を承知で本サイトがこれまでの久米発言を振り返って、その功績を評価しておきたい。
『久米宏 ラジオなんですけど』の功績といえば、まず一番に挙げなければならないのは、東京五輪に対する批判姿勢を貫いたことだ。
久米は東京五輪開催が決定した2013年9月8日の前日の7日放送回でも、東京五輪に対して反対姿勢を表明。9月14日の放送回では「最後の1人の日本人になっても、反対は続けていく」と宣言していた。
その後、2020年東京五輪が近づくにつれ、全国民への五輪協力が呼びかけられ“五輪のためならどんな我慢もするべき”“国民一丸、みんなで東京五輪を盛り上げよう”などという同調圧力がどんどん強くなっていったが、久米だけはこの番組で反対の声をあげ続けた。