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安倍首相に利用された星野源がエッセイに書いていた“音楽が政治に利用される危険性” 「X JAPANを使った小泉純一郎のように」

 そう。星野はかつてX JAPANが小泉純一郎首相に利用されたことを例に出して、「音楽はただ政治利用されるだけだ」とシニカルに語っていたのだが、今回、まさに自分自身がまんまと安倍首相に利用されたのだ。

 実際、安倍首相はAKB48や吉本興業、ニコニコ動画、オタクカルチャーとの蜜月、SNS戦略などに顕著なように、小泉純一郎よりもはるかに巧みに芸能人や若者文化をイメージ戦略に利用してきた。

 今回も、星野がこのムーブメントに込めた思いとは関係なく、補償や給付をしない政権への批判をかわすために、星野の“ふわっとした”“いい感じ” といったイメージを利用して、自分のイメージアップをはかったのだ

 まったく卑劣極まりないし、危惧していたのに利用された星野はさぞかし忸怩たる思いを抱いたはずだ。

 しかし、これは同時に星野自身のスタンスが招いたものでもある。なぜなら、政治に利用されるのは、常に「政治を忌避し距離をとろうとする者たち」「自分は政治と関係がないというポーズをとる者たち」だからだ。それは、この間、安倍首相にまんまと利用されてきた芸能人たちの顔ぶれを見れば明らかだろう。

 星野は、上述したように、エッセイで、「音楽で世界は変えられない」し、「国を変えるのはいつでも政治」だが、「音楽でたった一人の人間は変えられるかもしれない」と言い、実際、「政治」を忌避し距離を取るというスタンスを明確にしてきた。

 しかし、政治と距離を置くことなど、本当に可能なのか。たったひとりの生活に寄り添い、人生を後押しするということだって、政治とは無縁ではいられない。うちで踊るには、本当は、まずうちで踊れるような環境を政治が整えないと、うちでは踊れない(今回そのまさに整えるべき立場にある総理大臣が、それをせず「うちで踊ろう」とやったから、批判を受けているのだ)。

 表現者がそのことを自覚し、その政治性から逃げずにいれば、政治勢力と確信犯的につながることはあっても、政治に利用されることはない。

 そして、政治と無縁ではいられないにもかかわらず、個人の生活を徹底的に政治と切り離すポーズをとることは、逆に、政治に利用され、政治の問題点を見えなくする役割を担わされる。

 星野はまさに後者だった。この間、SNS上で大きな話題になったムーブメントは、医療従事者にみんなで拍手を送るとか、世界中で星野源の動画以外にもいくつもある。その数あるなかで、安倍首相が、星野源の「うちで踊ろう」を選び出したのは、たんに星野源の人気や知名度だけが理由ではないだろう。星野の(表面上の)“政治性の希薄さ”が、安倍首相にとって自らの失政を不問にしてくれるものだったからだ。

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