今回、「日本は単一民族国家」発言で問題になった麻生太郎財務相は、批判を受け、「誤解が生じているなら訂正してお詫びする」などと述べたが、2005年にも「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言している。反省しているとは到底思えない。
しかも、麻生発言が強く批判されて当然なのは、単に明治新政府による“神話”を鵜呑みにしたデマであるからということではない。この発言が、明らかに日本民族の優位性を喧伝し、外国人や少数民族の同化を肯定する文脈で出てきたものだからだ。
あらためて確認しておくが、発言が飛び出したのは今月13日、麻生が地元の福岡県直方市で開いた国政報告会でのことだ。「発言の全容」を報じたFNNは、〈去年のW杯での日本代表の活躍を契機としたラグビー人気向上に触れた上で、「インターナショナル化する中での日本」について、聴衆に語った〉として、このように伝えている。
「インターナショナルになっていることは間違いない。そして、それが力を生んでいるんだから。我々はそこが大事なんだから。純血守って何も進展もしないんじゃなくて、インターナショナルになりながら、きちんと日本は日本を大事にし、日本の文化を大事にし、日本語をしゃべる。そしてお互いにがんばろう、ワンチーム。日本はすげーというのでやって、それで世界のベスト8に残った。いいことですよ。私はそういった意味では、ぜひ日本という国がこれからもインターナショナルな世界の中で、堂々と存在感を発揮して、やっぱり日本という国は偉え……。だから2000年の長きにわたって一つの国で、一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝、126代の長きにわたって一つの王朝が続いているなんていう国はここしかありませんから。いい国なんだなと。これに勝る証明があったら教えてくれと。ヨーロッパ人の人に言って誰一人反論する人はいません。そんな国は他にない」
ネトウヨたちは、「やっぱり悪意ある切り取られ方をしていた」とか「全文を読めば何も間違ってない」などと嘯いているが、なにを言っているのだろうか。麻生財務相が得意げに語っているのは、ダイバーシティの尊重でもなんでもない。むしろ真逆だ。
麻生の「日本は単一民族国家」発言は、「日本はすげーというのでやって」「やっぱり日本という国は偉え」という“日本礼賛”に続いて出てきたものだ。多様性を「偉い日本」に無理やり収斂させて、異なる国籍や民族、文化、アイデンティの同化を肯定しているとしか言いようがない。そのうえで、アイヌら少数民族の存在を完全に無視して、「2000年の長きにわたって一つの国で、一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝」は「ここしかありません」「いい国なんだ」と宣うのは、戦中の「天皇を中心とした神国日本」「万邦無比の神の国」なる虚妄と同根である。
敗戦までの大日本帝国は、台湾や朝鮮の人々を天皇の「臣民」として同化することで、戦争に動員した。アイヌたち少数民族もそうだ。「インターナショナル化」でも「ワンチーム」でもなんでもなく、実際には差別し、文化や言語を収奪し、強制的に「日本人」に組み込んだのである。しかも、麻生の発言からは、「優れた民族が劣った民族をとりこんで当然」という優生思想的な感覚すら漂っている。それこそまともな民主主義先進国であれば一発で首が飛ぶ問題発言だ。
麻生太郎はこれまでも問題発言を何度も繰り返してきた。だが、いつのまにかそれが「当たり前」かのように受け取られるようになり、本人も安倍首相も平然としている。こうした剥き出しの差別思想がスルーされる状況が、ネトウヨたちにお墨付きを与え、レイシズムと歴史修正主義を増長させてきたのではないか。
「アイヌは存在しない」などというヘイトがはびこり、政治家がそれを増幅させているいまだからこそ、多くの人に『熱源』という作品を読んでもらいたい。そして、この差別と抑圧の根源がどこにあるのかをあらためて考えてほしい。
(編集部)
最終更新:2020.01.20 12:44