つまり、チャン監督は朴槿恵の保守政権が市民を弾圧する風潮に1980年代の軍事政権を重ね合わせ、それに抗うために『1987』を製作したのだ。その製作過程で朴槿恵が逮捕され、2017年5月の大統領選を経て、市民の圧倒的支持を受けた文在寅のリベラル派政権が誕生する。スケジュールから考えてもクランクインが同年4月で公開が年末。“文政権でつくられた”というのは、まったくの嘘だ。
それを武藤氏は、「今の政権になってからこれを作ったんだろう」「検察改革に対する国民の支持を得るための政治的な意図があってできた」などと、テレビでデマをぶちまけたのである。明らかに文政権を貶めるための、意図的なフェイクだろう。
だが、武藤氏の文在寅攻撃にはこうしたフェイク拡散だけでなく、もっと大きな問題がある。それは、いま、文在寅政権下で追及されている朴槿恵政権時代の疑惑に、武藤氏自身が関わっていたという問題だ。
徴用工判決を厳しく指弾し、「文在寅大統領がやらせた判決である」と攻撃を行ってきた武藤氏だが、韓国大使を務めたあと、外務省を辞め、2013年1月から2017年末まで、徴用工訴訟の被告である三菱重工業の「顧問」に就いていた。
この事実はすでに報道され、「当事者企業の顧問だった人物が客観的なふりをしてテレビで論評するのはおかしい」との批判の声が上がっているが、武藤氏はたまたま、当事者企業の顧問だけだっただけではない。
韓国では、今年2月、朴槿恵政権時の最高裁長官だった梁承泰(ヤン・スンテ)氏が徴用工訴訟の確定判決を故意に先送りしたとされる疑惑や、司法行政に批判的な判事を選別したとされる「ブラックリスト」作成、裏金づくりなどで起訴されている。
ところが、その梁承泰(ヤン・スンテ)長官の公訴状に、三菱重工顧問だった武藤氏の朴槿恵政権への働きかけが記述されているのだという。ハンギョレ新聞の報道によると、武藤氏は三菱重工顧問になって早々の2013年1月28日、当時の朴槿恵大統領候補の側近中の側近である尹炳世(ユン・ビョンセ)氏(のちに朴政権で外交部長官=外相に就任)と面会し、〈「最高裁の判決を変更し、請求棄却で終わらせてほしい」と要請した〉という(2019年2月18日付)。また、同紙は〈検察はこの場で2人が「政治的解決」を通じて、最高裁の2012年の判決の結論を請求棄却で終わらせる対策を議論したものと見ている〉とも報じている(2019年7月22日)。
報道にある「最高裁の判決」というのは、2012年5月、韓国最高裁が元徴用工の人々が新日鉄と三菱重工を訴えた訴訟の上告審について、原告敗訴の原審判決を破棄し、高裁に差し戻す決定を下したもの。韓国最高裁が「1965年の日韓請求権協定で個人の請求権は消滅していない」と初めて判断した判決でもある。つまり報道が事実であれば、武藤氏は被告である三菱重工の顧問として、確定判決でこの2012年の最高裁判断を覆すために、朴政権で外相となる人物と秘密裏に協議していたことになる。
しかも、武藤氏が協議していた相手の尹(ユン)外相にも、徴用工訴訟を巡る司法介入の疑惑がかけられている。韓国検察は今年2月、朴政権時代に大法院長(最高裁長官)を務めた梁承泰(ヤン・スンテ)氏に対し、政権の意向で日本企業の賠償を命じる確定判決を遅らせた等の職権濫用の容疑で起訴したが、尹元外相はこの司法介入に関与した重大な疑惑がもたれ事情聴取を受けているのだ。