いわゆるレコード会社役員と売れないタレントという支配関係を背景にした松浦氏との恋愛より、十代で出会い7年に渡ってオープンに交際していた長瀬との恋愛のほうに思い入れのあるファンは多く、実際、今回の本についても長瀬との話のほうが読みたかったという声は多い。もちろん、ジャニーズ事務所に所属する長瀬との恋愛を浜崎が語るのは、松浦氏との恋愛を語る以上にハードルが高いにせよ、なぜここまで松浦氏だけをクローズアップし持ち上げなければならないのか。
しかも浜崎は、松浦氏の権力行使に従順に従いながら、その恩恵を受けたことだけでその地位を築いたわけではない。浜崎は松浦氏と別れた後も快進撃を続け、セルフプロデュースで「世代のカリスマ」としてさらに存在感を増していった。
小説『M』は、「vogue」「Far away」「SEASONS」の3曲が松浦氏との別れによって生まれた「絶望三部作」だったと書かれて終わるが、浜崎はその後も「evolution」「Dearest」「Voyage」など数々のヒット曲を生み出している。
華原朋美が小室哲哉との破局とともにそのピークが終焉したのとは違って、松浦氏と別れたあとも、ときに「ワガママ」と批判されるほどの徹底したセルフプロデュースによって同世代の共感を獲得し「世代のカリスマ」というポジションを築いていった浜崎を、「松浦勝人との恋愛が浜崎あゆみを生んだ」という側面のみで語るのは、好き嫌いにかかわらず、浜崎あゆみの矮小化だろう。
では、浜崎は一体なぜ、こんな本をいま出したのか。浜崎あゆみの再売り出しというより、むしろあゆをダシに使った松浦勝人の自己宣伝以外の意味が見当たらない。
というか、そもそも出版じたいが、浜崎の意志によるものなのか。
何より不可解なのは、デビュー以来作詞を自ら手がけてきて、その時々の松浦氏への思いを歌詞にしてきた浜崎が、なぜ「一生に一度の恋」を自分自身の手で書かなかったのか、ということだ。しかも上述のように、浜崎といえば、人一倍、セルフプロデュースにこだわってきた人間である。