こうした事実については、テレビではほとんど報道されなかったが、中田は今回、それを芸人的トークを交えつつ視聴者に非常にわかりやすく解説したのである。
しかも、中田の解説が鋭かったのは、この集団的自衛権を合憲とした経緯を、安倍政権で起きた「公文書改ざん」や「忖度問題」の原点と位置付けたことだ。
「加計学園がどうのこうので、『公文書がないない』言ってなかった? 公文書がないない問題って、1回じゃないの。何度もあんの。それの大きいときがこれ。なんと、内閣法制局で、『集団的自衛権あり』にした議事録がなくなってるんですよ。もしくは、つくらなかったかもしれない。なにせ、そのときの公文書が『ございません』っていう回答なの、いま。内閣法制局がいまそういう状態にあるということ。それで、集団的自衛権が『あり』ということになっている。それが良いか悪いかは皆さん判断していただきたい。だけど、事実はこうよ」
この指摘も事実だ。安倍政権が集団的自衛権行使容認を閣議決定した際、内閣法制局が憲法9条の解釈変更について内部での検討過程を公文書として残していないことがのちに明らかになっている。実は、閣議決定前に横畠長官が自民党幹部と非公式に会い、憲法解釈の変更に合意。そして、法制局は閣議決定前日に案文を受け取り、翌日には「意見なし」と電話1本で回答していた。
中田はおそらくこうした事実関係を今回、きちんと把握して、強い違和感を抱いたのだろう。「集団的自衛権が良いか悪いかは皆さん判断していただきたい」と言いながらも「だけど、事実はこうよ」と、その民主主義を無視したプロセスには明らかに違和感を表明していた。そして、中田はこう続けている。
「忖度、忖度って言ってるじゃん。あれ、なんだと思う? 忖度、忖度言われ出したってこの流れなの。内閣法制局の人事を、自分の通したいように変えましたよ、公文書ないですよ。それと同時にですね、なんと、内閣人事局というですね、官僚の人事を司る局を内閣がガッチリ押さえ始めた。これもルール上はやってもOKだったんですよ。だけど、やってなかったいままで。内閣人事局をがっちり整備して、『官僚の人事に関しては、内閣がきっちりコントロールさせていただきますんで』っていうのをはっきり言い出したのがここ。ってなったときに、官僚ってなにを考える?ってことなのよ。現政権に反対するような動きを見せたら、人事的に飛ばされちゃうかもしれない。人事的にとんでもないことされちゃうかもしれない。だから、なるべく政権を怒らせたくないというように官僚動いてませんか?というのが忖度なんですよ。忖度とか、公文書問題というのは、集団的自衛権問題とすごく密接に関わっていた。そしてそれは、たったいま起きた問題ではない。戦後からずっとある歴史のなかで、一歩一歩一歩一歩進んできてる問題なんですよ」
中田はまさにこの間、安倍政権で起きたことが「たまたまの不祥事」でなく、安倍政権が戦略的に行っている民主主義の破壊行為であることをきちんと指摘みせたのだ。