たとえば、原告・瀬尾氏は問題の不動産取引に財務部長として関わっていたのだが、当初、職舎をできる限り高い値段で売ろうとの考えから、大手信託銀行に仲介を頼んで複数の買い手を見つける方針を検討していた。ところが、打田会長の“腹心”とされる当時の総務部長から「銀行や不動産屋が仲介する方法では2、3年先になる。別の方法を考えるように」と指示された。さらに、打田会長の元部下である当時の総務課長からも「ディンプルの高橋社長が怒っている。早くしてくださいよ」と急かされたという。しかも、のちになってこの総務課長は、ディンプル社と契約させようとする発言は打田会長からの伝言であったことを、瀬尾氏に対して認めたというのだ。
被告・神社本庁側は、総務課長の発言を否認するとともに打田氏の関与も否定しているが、他にも、瀬尾氏は田中総長からの直接の圧力も証言している。訴状などによると、瀬尾氏は前述のディンプルへの随意契約の話が出てきたことで、売却方針の変更について田中総長に相談。すると、田中総長は「ディンプルの高橋さんに任せといたらええんや」と告げたという(被告側は田中総長の発言は「ディンプルも見積もり業社に加えてあげたらどうか」という内容だったと主張)。
ほかにも、この裁判のなかでは、調査委員会による報告書の問題点も明らかになった。前述したとおり、この調査報告書は問題の不動産売却を適法かつ適正と結論づけたもので、神社本庁側はこれを根拠に、稲氏が檄文で告発した疑惑などないことは明白と主張している。
そこで、本サイトは今回、調査報告書を改めて調べてみることにした。神社本庁側はこの報告書について、著作権を理由に外部に向けて公開していない。それだけでも調査の客観性に疑問が生じるが、一方で裁判資料として提出されているため、裁判所に正規の申請をして開示したのである。
そして、いざ調査報告書を読んでみると、神社本庁側の「報告書により疑念は払拭された」との主張とはうらはらに、その調査に疑義を持たざるをえないような、極めて不可解な文言が多数ちりばめられていたのだ。