聞き取りを進めるうちに、会社にはタイムカードがなく、手書きの出退勤簿しか存在しないこと、出退勤簿は出勤の際に労働者が必ず立ち寄るロッカールームではなく、調理場横の事務室に掲示されているとのことであった。調理用の衣類に着替えた後の事業所内の移動が労働時間に含まれることは明らかである。長年残業代を一切支払ってこなかったにもかかわらず、出退勤前後の数分間ですら労働時間として換算しないための取り組みを予めしている会社の姿勢に呆れずにはいられなかった。
K氏は、入社してすぐ、他の労働者から、何かあったときのために出退勤時刻をメモしておいたほうがいいとアドバイスされたとのことである。相談の際、K氏からは、アドバイスを受けてから、毎日、出退勤時刻をメモするようになったと聞かされた。そのため、当初の想定より、労働時間の立証は簡単かもしれないと期待した。
しかし、K氏が後日持参した資料は、3カ月分の出退勤簿のコピーと、ビニール袋いっぱいのメモだった。メモを整理してみないと、証拠として使えるかどうかわからないため、一旦すべての資料を預かった。
その後、いくつかメモを取り出し、目を通したが、そのほとんどが、時刻のみが走り書きされた紙切れで、たまに時刻以外に筆で書かれた文字が存在するものの、結局何が書かれていたかまったくわからない程度のものにすぎなかった。忙しい合間に必死にその日の献立を手書きしていた和紙を切って、その切れ端に出退勤時刻を記載していたK氏の涙ぐましい努力に労働状況の過酷さを垣間見た。すべてのメモを時間ごとに並べ、コピーして提出することも考えたが、各時刻が午前なのか午後なのかもわからないので、見送った。どのメモがどの日の出退勤時刻かわからない以上、証拠として使うことは難しいので、一旦K氏にお返しすることにした。
後日、あらためてK氏に事務所に来てもらい、第三者にすぎない弁護士にはどのメモがいつの出退勤時刻かわからないことを丁寧に説明し、K氏自身が判断できるのであれば、ぜひ教えて欲しいとお願いした。一旦預かった資料を返されるとあって憮然とした表情を見せられたが、できないものを請け負うわけにはいかないので、辛抱強く説得し、大量のメモをお持ち帰りいただいた。
結局、K氏本人としても、走り書きした時刻のみでは記載した日の特定には至らなかったそうである。
次に、K氏からは、会社には出退勤簿があるはずなので、どうにか手に入れて欲しいと要請された。しかし、料理人に過ぎないK氏は、辞めるまでの2年間の出退勤簿がどこに保管されているかは皆目検討もつかないとのこと。しかも、会社はホテルの他に事務所も持っているとのことであった。そのような状態では、費用と手間をかけても空振りに終わるリスクが高いため、そのことをじっくり説明し、今後の相手方とのやりとりを通じて労働時間を明らかにする方針についてご了承いただいた。