実際、高須氏が名指しした東京女子医科大学の創立者である吉岡彌生は、こう語っていたという。
「私が東京女子医科大学の前身である東京女医学校を創立したのは明治33年でありますが、当時いかにも低かった婦人の社会的地位を向上せしめようとしたのが動機であります。婦人の地位を向上せしめるには、まず婦人に経済的能力を与えなければならず、それには自分が医師でもあるし、また、医学医術は婦人に適している立派な職業でもありますから、これを専門に教育する機関を創立することを考えたわけであります。
また、私が学びました済生学舎は共学のため風紀が乱れ、そのため女子の入学を拒絶するようになりましたことも私が女子のみの医育機関の必要を感じた動機の一つでもあります」(一般社団法人至誠会HPより)
つまり、「女子がいると風紀が乱れる=女子を排除する」という一方的な女性排斥の差別を受け、学ぶ機会を奪われたことがきっかけになって、女子専門の医学教育機関が誕生し、後に日本初の女子医大となったのだ。いまも昔もこのような不当な入学差別を受けていない男子のために「男子医大」をつくる必然性は、どこにもないのである。
いや、それどころか、21世紀に入ってもこの国では女性の社会的活躍を阻害する性別役割分業の考え方が根強く、賃金格差などを見ても男女の平等にはほど遠いのが現状だ。だからこそ、社会を変えるためにも政治の世界での女性議員の比率を増やす必要があり、選挙の候補者数や議席数の一定比率を女性に割り当てるクオーター制や、フランスのように候補者を男女同数にするパリテ法の導入が急務となっているが、これに自民党の保守・極右議員らは猛反対。今年5月に国会で成立した候補者男女均等法案にしても、自民党内では「女性の社会進出で社会全体が豊かになっているとは思えない」「能力のある人は自力ではい上がる」などと反対意見が噴出。この“女は家庭に入るべき”“女性に下駄をはかせるのは甘え”という現状を顧みない意見によって、野党4党は候補者を男女「同数」を目指したものの、与党によって「均等」という曖昧な表現に落ち着いてしまった。