一方の朝日はいまのところ、物証も新たな証言も出していないが、情報を小出しにする作戦ではないかと言われている。実際、加計学園問題の「総理のご意向」文書を報じたときは、当初、日時や出席者の入っていない文書を報道し、菅義偉官房長官に「怪文書」と反論させてから、文書の全容を突きつけた。今回も同じように、政権側に否定させておいて、決定的な証拠や証言を出すつもりではないかというのだ。
だが、ここではっきりさせておかなくてはならないのは、朝日がこれ以上の物証を出さなくても、告発者に実名証言をさせられなくても、それは朝日の報道が誤報ということではまったくないし、安倍政権と財務省がシロになることも一切ない、ということだ。
前述のように、文書の改ざんがあったことは、記事や財務省、麻生財務相の対応を見れば明らかだ。しかし、だからといって、捜査権限をもたないマスコミが、省庁内の内部文書の写しを入手しているとはかぎらない。仮に入手していたとしても、「外には出さない」という条件を付けられている可能性もある。いくら義憤にかられたとしても、官僚が秘匿された公文書を持ち出すという、リスクの高い行為を犯すことはめったにない。
これは、実名証言も同様だ。実際、大阪高等検察庁公安部長だった三井環氏が検察の裏金問題を告発したときには、テレビ番組の収録日に別件で逮捕されるということも起こっている。義憤のために不正の告発はあっても、そんなリスクを犯してまで、物証を提供し内部告発をしようという人物は、そうそういない。
もし「物証」や「実名証言」がなければ、権力の不正が報道できないのであれば、メディアは権力の監視なんてまったくできなくなってしまう。
民主主義国家ではむしろ、権力や企業の不正報道について関係者の匿名証言や間接証拠だけでも十分報道する必要があり、逆に、疑惑をかけられた政府こそ、それが黒なのか白なのか、徹底調査をおこなう責任がある。挙証責任はマスコミではなく、政府にあるというのが常識なのだ。その責任も果たさずに「物証を出せ」と与党の国会議員ががなり立てることは、話のすり替えどころか、報道圧力以外の何物でもない。