たとえば、「「森友」政局に幕引けるか」と題した昨年4月15日付コラムでは、〈常識的には、国有地払い下げの手続きに国会議員が介在することはない。秘書も含めて、そんな危ない橋は渡らないものだ〉〈口利きが「ない」ことを立証するのは「悪魔の証明」にほかならない〉〈結局、森友問題は、政局の要素を除けば、籠池氏が小学校建設の工事契約額をごまかして、国交省の補助金を不正受給したとの疑惑が主なのではないか〉と連ねるなど、安倍夫妻にかけられた疑惑を徹底して払拭しにかかるような書きぶりだった。
また、加計学園問題をとりあげた昨年6月17日のコラムでも、前川喜平氏について〈前次官の乱という様相を呈している〉としたうえで、〈会見の発言との整合性は保たれているのか〉〈「総理の意向」はしょせん、伝聞の伝聞に過ぎない。それによって、行政のあり方はどうゆがめられたというのだろう〉と攻撃。さらに〈規制緩和で新規参入を認めたい内閣府に対し、規制を維持したい文科省が、政府内の議論で敗れただけではないのか〉などと書いており、その目線はまるで官邸の代弁者かのようだ。
いや、コラムだけでない。周知の通り、最近の読売はもはや安倍政権の“広報別働隊”のようになっており、その関係はまさに相思相愛だ。昨年5月には憲法改正に関する安倍首相の独占インタビューを読売が報じ、さらには前川氏への「出会い系バー」スキャンダルのような“謀略記事”まで手がけるようになった。
実際、この“買春”を匂わせた実話誌レベルの下半身記事は、NHKや民放のインタビューに応じていた前川氏の動きを察知した官邸が、その告発を潰すために読売にリークして書かせたものだとい言われる。読売の報道後、各社が後追いに走ったが、結局、前川氏の“買春”の事実はまったく浮び上らなかった。
記事の不自然さは、元読売新聞社会部記者の大谷昭宏氏も「これは依頼が断れない記事を指す『ワケアリ』の特徴です。官邸との癒着を読売は否定するだろうが、内部にいた人間なら誰でもわかる」(「AERA」17年6月12日/朝日新聞出版)と指摘。また、米紙ニューヨーク・タイムズの前東京支局長であるマーティン・ファクラー氏も〈この出来事1つを取っても、読売新聞は完全に安倍政権の機関紙といえるだろう〉〈アメリカの状況に当てはめると、朝日新聞がニューヨーク・タイムズに、読売新聞は「オルト・メディア」のブライトバートに当てはまる〉(『権力者とメディアが対立する新時代』詩想社)と、“オルタナ右翼のフェイクニュースメディアと同レベル”とまで断じている。
やはり、読売新聞がこうした謀略記事まで手がけるようになった背景には、“天皇”こと渡邉恒雄主筆と自民党の関係だけでなく、小田論説主幹らが頻繁にくり返す安倍首相との会食も関係しているのではないのか。そう勘ぐられても仕方があるまい。そして、そんななかで政府が読売幹部を国家公安委員という役職に抜擢しようというのだから、これも読売の貢献に対して安倍政権が与えた“ご褒美”としか思えないのだ。