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吉川晃司がICAN無視の安倍政権を真っ向批判! 核兵器禁止条約に反対する暴挙に「戦争はまだ終わっていない」

 吉川がこのように憤る背景には、広島で生まれ育ったというルーツが強く影響を与えているだろう。いや、彼はただ広島出身であるというだけではない。もしも父が疎開していなかったら、吉川晃司という人間はこの世に存在しなかった可能性が非常に高かったのだ。

 現在、広島記念公園となっている場所は、原爆投下前は「中島地区」と呼ばれる広島有数の繁華街で、1300世帯4400人が暮らしていた。吉川晃司の祖父は、この中島地区の端、現在は原爆ドームとして知られる広島県産業奨励館の川を挟んだ斜め向かいで「吉川旅館」という割烹旅館を営んでおり、彼の父親もここで生まれ育ち8歳まで暮らしている。原爆投下より以前に旅館を別の人に譲り渡して疎開していたので吉川家は原爆の直撃を受けることは逃れたが、彼の父は原爆投下直後に疎開先から広島に帰っているため、そこで被曝した。

 この中島地区は爆心地からほど近いため、原爆投下により一瞬で跡形もなく消滅。現在の広島平和記念公園の下にはいまも中島地区の家々の瓦礫が埋まっており、前述『NNNドキュメント』ではその発掘調査の模様も放送されていた。そして、ちょうど吉川旅館があった場所に立った吉川晃司はこのように語る。

「父親たちが疎開をしてなかったら私はここに当然生まれてないわけですよ。この距離だから、影も形もないわけでしょう」

 この事実は、吉川晃司に核兵器の恐ろしさを認識させるのにあまりあるものだっただろう。

 だから、彼は東日本大震災での福島の反省を顧みることなく原発政策を進める安倍政権に対しことあるごとに怒りを表明し続けてきている。たとえば、「AERA」(朝日新聞出版)16年5月23日号では「年金運用の失敗で5兆円損したとか、川内原発の周辺は地震が起きないとか言ってたけど、ふざけんなよ」と語り、また、「週刊プレイボーイ」(集英社)16年5月30日号では、乙武洋匡氏が自民党から出馬予定であったことに対し(不倫騒動により頓挫)、このように言い切っていた。

「ただ、俺は現政権がでえっ嫌いなもんだから、疑問と残念感は残るんだけど。今、自民党から出るのはやめましょうよって思うだけで」

 東日本大震災を受けて石巻市まで赴き瓦礫撤去のボランティア活動に従事したり、また、11年7月には被災地への寄付金を集めるため21年ぶりにCOMPLEXを再結成させ、東京ドームで行われたチャリティコンサートを開くなど、吉川は積極的に社会的活動を行ってきた。

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