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子連れ出席要求の熊本市議をつるの剛士が「育児を盾にするな」と攻撃! “やり方が悪い”批判の裏に親学的本音

 そもそも、緒方議員自身、荻上チキの『Session-22』(TBSラジオ)で語っているが、これまでにも「子どものいる状態で議員活動をサポートしてほしい」「いつでも授乳をできるように議場に連れて行きたい」「託児所を作れないか」と育児環境整備について要望を続けていた。しかし事務局からは「個人でベビーシッターを」と取り合ってもらえないため長男を連れて出席しようとしたのだ。「ちがう方法があるはず」「手順を踏むべき」などという批判は、こうした事情をまったく理解しない、的外れな批判だ。

 いや、もっといえば、こうした問題で「手順を踏む」「ちがう方法」を要求すること自体が的外れだ。認定NPOフローレンス代表理事でNPO全国小規模保育協議会理事長の駒崎弘樹氏は、Yahoo個人で、緒方議員バッシングについて、やはり「トーンポリシング」であると指摘したうえ、パフォーマンスだという批判に対してもこう反論した。

〈パフォーマンスだったとして、何が悪いんでしょうか?
 社会に課題があった場合、「ここに課題があるんだ」と広く世の中に知ってもらわなければ、課題の解決には至りません。〉
〈こうしたある種のパフォーマンスによって、社会的な注意を引きつけ、事態の改善を誘発する事例はたくさんありますが、「パフォーマンスは悪い」と言う方は、他に声なき人たちが声をあげる方法を、何かお持ちなのでしょうか。
 「パフォーマンスするな」ということは、マイノリティの異議申し立てのツールを奪うことにもなりかねないのです。〉

 そして、問題は今回の緒方議員に対して「やり方が悪い」「パフォーマンスだ」というトーンポリシングを行っている連中の本音である。彼らは一様に「子どもには寛容な社会であるべきだとは思うが」などとエクスキューズのように前置きしてあくまで“やり方”だけを批判しているようなふりをしているが、その本音は“子どもは母親が家で育てろ”ということでしかないのではないか。

 その典型がつるの剛士だろう。つるのは今回の問題に対し自身のツイッターにこう書き込みをしている。

〈『保育園おちた日本○ね』の時もそうでしたが、働く女性や育児、待機児童問題。。などを正義の盾にして正論の剣を振りかざす社会にボクは発展はないと思うし、こういう問題提起の仕方は本当に悩んでいる働くママ達や子供が結局一番可哀想な思いをしてしまうんじゃないかなあ、と思いました。〉

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