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加計問題で圧力の安倍側近・萩生田官房副長官が「シン・ゴジラを観ろ!」 事務次官会議での発言を前川前次官が明かす

 たしかに、『シン・ゴジラ』は無教養で傲岸不遜な安倍政権の幹部政治家が得意げに官僚に薦めそうな映画ではある。それは、長谷川博己演じる同作品の主人公が、萩生田氏の当時の役職と同じ官房副長官だったから、というだけではない(目立ちたがりと臆面のなさで有名な萩生田氏のことだから、それも大きな理由だとは思われるが)。

 実は同映画は公開当時、純粋な映画ファンからだけでなく、安倍応援団やネトウヨ、新自由主義者連中からも大絶賛を受けていた。自衛隊の全面協力による戦闘シーンに「やっぱり自衛隊はスゴい!」「自衛隊大活躍」と大喜びしていたネトウヨは置いておくとしても、彼らがしばしば口にしていたのが、「日本がいかに平和ボケかわかっただろう」「憲法9条や民主主義の理念なんて有事には何の役にも立たないことを見事に描いていた」「やっぱり緊急事態条項は必要だというメッセージだ」といった意見だった。

 産経新聞の極右記者・阿比留瑠比氏も、この映画の政治劇の部分を「リアルな描写」だと絶賛。〈今そこにある安全保障上の危機から目をそらしつつ、実現不可能な理想論ばかり振りかざす一部議員やメディアを思い浮かべた〉〈ゴジラが象徴しているものは、日本の法制上の不備や、「平和ボケ」といわれて久しい国防意識の弱さをついてくる巨大な近隣国なのか〉などと、完全に自分の右派主張に引き寄せて、この映画を語っていた。

 実際、『シン・ゴジラ』では、そういうメッセージと受け取れるようなシーンやセリフが数多くあったのは事実だ。自衛隊のゴジラへの防衛出動を決定するまでの政府内の議論、逃げ遅れた国民がいたことで市街地での攻撃命令を下せなかった総理大臣など、煩雑な民主的手続きや、法律の壁、民主主義の理念に阻まれる様子がこれでもかと描かれ、反安保や反原発デモを揶揄するような「ゴジラを殺せ」「ゴジラを守れ」両派の大規模デモシーンまでが挿入されていた。そして、最終的には、長谷川博己演じる官房副長官と、竹野内豊が演じる首相補佐官のコンビがこれらの障害を乗り越え、全権を任され、ゴジラとの首都決戦に立ち向かう──。

 これらのシーンが「日本の政治の現状をリアルに描いている」という評価になり、「手間のかかる民主主義的議論より、頼りになるリーダーの決断が危機を救う」という空気づくりに一役買うかたちになってしまった。

 しかし、あらためて指摘しておくが、『シン・ゴジラ』はゴジラのシーンだけでなく、政治ドラマの部分もただのフィクションにすぎない。石破茂元防衛相が、議論の末にゴジラへの防衛出動が下されたくだりについて“害獣相手に防衛出動はありえず、災害出動。災害出動ならですぐに対応できる”といった旨の指摘をしていたが、他のシーンも同様で、リアリティなんてどこにもない。

 たとえば、街を次々破壊しているゴジラへの対応で国論を二分するデモが起きるはずがないし、政府内の法律的な手続きについても、主人公の直面する問題を際立たせるためにオーバーに描いているだけで、実際は救助対応が大幅に遅れるような手続きなんて、ほとんどない。総理や主要閣僚が全員死ぬとか、官房副長官に全権が委任されるなんていうのもありえないだろう。

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