この背景には、メディアが戦争の生々しい現実を伝えなくなったという問題もあるだろう。かつてのベトナム戦争ではアメリカはメディアを統制できず、テレビは米軍が村を焼き払う映像、機銃掃射によって倒れていくベトナム民間人の映像など、戦争の生々しい現実を伝え、その結果、大規模な反戦運動が起こった。その反省から、1990年のクウェート侵攻にはじまる湾岸戦争では、当時のジョージ・ブッシュ大統領はフセイン大統領を悪者であると国民に刷り込んで戦争の正当化と愛国心を煽る一方、メディアを徹底して統制し、自由な報道を封じ込んだのだ。
そうして、爆撃から逃げ惑う人、吹き飛ぶ人といった地上の模様は隠され、暗闇でミサイルが飛び交う現実味のない映像が流された。もちろん、息子ブッシュもそれを9・11後のイラク戦争で取り入れ、さらにはFOXテレビなどは記者が戦車にさえ同乗して“悪を倒す正義の米軍”“我々の軍隊”として自国のプロパガンダに終始。報道は“愛国エンタメ”と化していった。
そして、無教養な連中はまんまとその情報操作に乗せられ、リアルな戦争の現実をまったく見ずに、ひたすら戦争を煽るようになってしまったのだ。もちろん、能動的に知ろうとすれば、地上で取材をするフリージャーナリストによる映像などに簡単にアクセスできる。そこには1発の爆撃によってどれだけの民間人が犠牲となっているのかが映し出されているだろう。だが、戦争を煽る者は、そこには目を向けない。自分は絶対安全であるとどこまでも信じ、「1発で終わる」と言い募るだけなのだ。
しかも、恐ろしいのは、こうしたゲーム的発想をもっているのが、上念やネトウヨたちだけではないということだ。この国の最高権力者である安倍首相もまた、戦争の恐ろしさをまったく考えず、なんとトランプに「相互防衛」を約束。自ら戦争に参加する姿勢をみせてしまった。
こうした安倍首相の好戦的姿勢は、世界でも浮きまくっている。実際、アメリカの外交問題専門誌「フォーリン・ポリシー」でも、安倍首相による北朝鮮の対応は、このようにこき下ろされている。
「どれも功を奏していない。今回も日本に大した選択肢はなく、安倍のタカ派的な勇ましい言葉も、ますます空虚に見える」
「安倍は忌み嫌うだろうが一つだけ残された選択肢は、北朝鮮との直接交渉だ」
「対話は最重要だ。しかし、安倍のチームはドアを閉め続けることに固執しているようだ」
「お花畑思考」の政治家やネトウヨ連中の煽動に惑わされてはならない。ぎりぎりまで「対話」の可能性を探り続けること。それがもっとも現実的な対応なのだ。
(編集部)
最終更新:2017.12.07 05:40