つまり表現が公共の利害に関わり、共益を図る目的で、事実を前提としていて、人身攻撃でない限り、「意見・論評の表明」は表現の自由であり、名誉毀損の対象にならないということだ(なお“ロス疑惑「夕刊フジ」事件”の97年最高裁判例を踏まえ、事実の真実性を証明できない場合も信じるに足る相当性が認められれば免責されると解されている)。
今回ももちろんこれに当てはまる。「公共の電波」を使って放送されている高須クリニックのCMをめぐる評価は公共の利害、公益性に関わる問題であり、“イエス!○○クリニック”という言葉が放送されているのも事実。“陳腐”という表現も、明らかに感想、意見、価値観の表明の域だから、名誉毀損が成立するとは考えにくい。
もちろん、浅野氏の言うように、「高須クリニック」と実名を言ったとしても、その原則は変わらない。
実際、このレベルの感想や論評が名誉毀損となってしまえば、個人の多様な“感想や意見”は封じられ、テレビコメンテーターなんて意見を言うことができなくなってしまうだろう。それどころか、文学や芸術、映画などの批評も一切できなくなる。何しろ、高須氏の主張通りなら、「この映画は陳腐だ」と言っただけで、名誉毀損になってしまうのだから。
高須氏は公判で、「キャッチコピーは亡くなった妻の遺産で、私の大切な宝だ」などと主張したらしいが、そんなことが理由で公共の電波を使ったCMへの批判が許されず、名誉毀損が成立するなら、もはやこの国に表現の自由はなくなってしまうだろう。
この訴訟を、高須氏のパートナーである漫画家・西原理恵子氏は表現者としていったいどう考えているのか。と思っていたら、なんと“法廷画家”として裁判に同行するなど、高須氏を支援しているようだ。西原氏は、高須氏の主張通りなら、自分の毒舌漫画も名誉毀損だらけになってしまう、ということがわかっているのか。
いずれにしても、大西議員の発言で名誉毀損が成立するというのはほぼありえないし、むしろ、高須氏の提訴は、表現の自由への重大な挑戦であり、訴訟による威嚇行為だと批判する意見があってもおかしくないものなのだ。
浅野氏の『ミヤネ屋』でのコメントも言い回しは稚拙だったが、そういうことを主張しているものであり、その批判姿勢は正しい。また、浅野氏は大西発言を「真実を言った。この正直者と怒るようなもの」と発言していたが、これも、「陳腐」を真実だと評価しただけで、批評・意見の表明の範囲内、やはり名誉毀損に当たる可能性は低い。少なくとも、訴訟を起こされても十分に闘うことはできたはずだ。
というか、報道番組、メディアとしては、今後の表現の自由、論評・意見表明の自由を守るためにも、絶対に闘わなければいけなかった案件だろう。
ところが、『ミヤネ屋』、読売テレビはいとも簡単に高須氏に屈してしまった。なぜか。
それは、高須クリニックがマスコミにとって、大スポンサーだからだろう。しかも、高須氏はそのスポンサーであることを利用して、メディアに圧力をかけている。