自民党の改憲草案で問題なのは九条だけではない。「家族は、互いに助け合わなければならない」との文言を入れた家族条項も大変な問題をはらんでいる。これは、国が理想の家族像を国民に押し付け、個人の自由や尊厳を侵害することを許すものであると同時に、介護や子育てをはじめとした社会保障を国民に押し付けるものでもあるからだ。一般社団法人Colabo代表として、少女たちの自立支援を行ってきた仁藤夢乃はこのように語っている。それは、様々な事情を抱え、家族に助けを求めることのできない少女たちを支えてきたからこその、実体験に基づく危機感でもある。
〈特に、自民党による改憲草案第二十四条に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」とあることを知ったとき、ぐったりしました。私は、家制度的な家族観から脱し、片親家庭やステップファミリー、里親や養子縁組、同性婚など血縁に縛られない、多様な「家族」を社会が受け入れ、家族という単位に縛られずに人々が支え合えるような社会になればと思っていますが、これはその反対です。弱者へ寄り添う目線がなく、「家族」に自己責任を押し付けるような一文です。もちろん、家族が助け合える関係性や状況があるに超したことはありません。しかし、憲法で規定すべきは、家族の助け合いが難しい状況にある人の生活も保障する国の責務と、一人ひとりの「助けを求める権利」であるはずです〉
自民党の押し進める新しい憲法は、現在の日本国憲法にある多様性や自由の尊重がことごとく削られ、すべての個人に対し、国家に自らのすべてを奉仕するよう強いる。それは、大日本帝国憲法へと回帰していくような、前時代的なものなのだが、作家の平野啓一郎はこのように批判している。
〈私は、憲法は、多様性を前提とすべきだと思っています。国家は──ある共同体を維持しようというときには──常に分裂に至る可能性を含んでいますが、それを協調的な多様性に回収しようとするのか、単一的な価値で統合しようとするのか。現在の日本国憲法と自民党の改憲草案とは、その点で原理的に対立しています。端的な例が、「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」と書き換えられている点でしょう。
しかし、後者が不可能であることは、二〇世紀のファシズムやスターリニズムを見れば明らかです〉