〈選挙に関する報道と評論をする番組に求められるのは、出演者数や顔ぶれ、発言回数や露出時間の機械的・形式的な平等ではなく、さらに有権者に与える候補者の印象の良し悪しの均等でもない。〉
〈選挙に関する報道と評論に「量的公平性(形式的公平性)」が求められれば、放送局にこれを編集する自由はなくなる。したがって、選挙に関する報道と評論に編集の自由が保障されている以上は、求められる「公平性」は「量的公平性(形式的公平性)」ではありえず、必然的に「質的公平性(実質的公平性)」となる。〉
もっとも、ここでBPOが指針を示した「質的公平性」は、〈国民の判断材料となる重要な事実を知りながら、ある候補者や政党に関しては不利になりそうな事実を報道しない、或いは、政治上の問題点に触れない、逆に、ある候補者や政党に関してのみ過剰に伝えるなどと言う姿勢は、公平であるとは言い難い〉というように、政治権力からの圧力や報道の萎縮に対抗する手段として示したものだ。
しかし、各テレビ局はこの“「量的公平性」が最重要ではない”という部分を逆手にとり、都民ファーストと自民だけを重点的に扱い、他政党を切り捨てる方向に動いたのだ。しかも、「自民と都民ファの公平な扱い」だけは守った状態で、である。
つまり、BPOがテレビ報道を守ろうとしているにもかかわらず、局側は相変わらず政権の圧力に屈して、安倍首相の顔色を伺う“忖度報道”を展開しているのだ。
安倍首相や菅義偉官房長官をはじめ政権中枢が次々とボロを出している加計学園問題では、さすがのテレビ局も批判する姿勢を見せているが、選挙となればやはり話は別、ということなのだろうか。いずれにせよ、安倍政権の不正を正すためには、官邸とズブズブの関係にあるマスコミ幹部たちを徹底追及し、国民の声でメディアを正常化していく必要がある。
(編集部)
最終更新:2017.12.05 01:52