佐野元春といえば、1988年に原発政策や真実を報じないマスコミへの怒りを歌った「警告どおり 計画どおり」という楽曲を発表するなど、社会的視点をもっていることでも知られている。
そんな佐野は、「僕の蒼い鳥がそう言っている」という佐野らしい詩的な言い回しと、アメリカの高名な作家・思想家であるスーザン・ソンタグの言葉を引用しながら、「共謀罪」によって起きるであろう作家や芸術家への検閲、また、そういった公権力からの暴力への恐怖によって起こる自己検閲への危惧を綴ったのだ。
佐野が抱く危惧は絵空事でも妄想でもない。公権力による恣意的な解釈により、どこまでも適用範囲が拡大する可能性をもつ「共謀罪」は、自分たちに都合の悪い意見をもつ者を排除するための武器として、確実に権力者によって悪用される。それは歴史が証明していることだ。
治安維持法によって逮捕され激しい拷問を受けた経験をもつ杉浦正男氏は、17年5月12日付日刊ゲンダイでインタビューに答え、当時のことを振り返ってこのように話している。
「当局が都合が悪いと判断すれば市民弾圧が容易に可能になることです。治安維持法は大学への弾圧から始まり、労働運動、文化・芸能活動へと対象が広がりました。支配層にとって際限なく権限を拡大し、弾圧する武器になるのです」
民主主義も表現の自由も破壊する「共謀罪」に反対の声をあげているミュージシャンは佐野元春だけではない。たとえば、ラッパーのECDはツイッターにこのような文章を投稿している。
〈共謀罪が通ったあとに待っているのは密告を奨励する社会だよ。それがどれほど陰湿な社会か。そんな社会を子供たちに残したくない〉
〈いやな奴はもっといやな奴になる。いい奴だと思ってた奴もいやな奴になる。そんな世界〉
〈オーウェルの「1984」を初めて読んだのは75年、15の時だったと思う。その時はニュースピークとかダブルシンクについては正直今ほどにはピンと来なかった。だけど作中に登場する子供の密告者は本当に恐ろしかった〉
これも治安維持法が存在した時代に現実に起きたことだ。戦時下、政府は近隣住民同士で「隣組」をつくらせ、市民同士で相互監視を行わせた。戦争に対して否定的な言動をしている人物を密告させ、治安維持法で次々と逮捕していったのだ。
安倍政権はこれまで、テロ対策のために「共謀罪」が必要だと嘘を並べ立てて議論を押し通してきた。新たな法整備などなくても、現行の法律でテロ対策は十分可能であり、その詐術は多くの専門家から指摘されているのだが、安倍政権を信奉してやまない人々はそれでもなお「共謀罪」の必要性をがなりたてる。
彼らは「共謀罪」の真の恐ろしさを認識していないのだろう。確かに、いまの時点では独裁状態の安倍政権を応援するマジョリティだからお咎めはないのかもしれないが、彼らネトウヨだっていずれ摘発される側にまわる可能性はある。治安維持法も、当初は共産主義革命運動を対象にしていたのが、その後、宗教運動や右翼活動にもなし崩し的に範囲が拡大。政権に都合の悪いものであればすべて摘発の範囲に拡大解釈されていった。