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日米首脳会談でも岸信介のモノマネ…じいさんコンプレックスの塊・安倍首相が抹殺した父親ともうひとりの祖父の物語

 そんな安倍寛を基軸とし、息子・晋太郎、そして孫・晋三という安倍家“三代”の歴史を紐解き、晋三という世襲政治家の“空虚な実像”に迫った著書が最近刊行された。気鋭のジャーナリスト・青木理による『安倍三代』(朝日新聞出版)だ。2015年から「AERA」(朝日新聞出版)誌上で断続的に連載された「安倍家三代 世襲の果てに」に大幅な追加取材と加筆を施したものだが、これまでほとんど知られることのなかった安倍寛の実像と、孫の晋三とはまったく異なる“反骨の実像”の詳細が描かれている。

 1894年(明治27年)、山口県の旧大津郡日置村(のちの同郡油谷町、現在は長門市油谷)の地主のもとに生まれた寛は、幼いうちに両親を亡くすが、勉学などに極めて優れ、最高学府である東京帝国大学政治学科に進学した。その後に帰郷し、1935年には山口県議会議員に、さらに1937年と1942年の衆院選では当選を果たし、国政にも進出している。

 その政治姿勢は、常に反戦平和主義と貧富の格差への怒り、つまりは“低い目線”に貫かれていたという。本書は往時の寛を知る多数の関係者を取材し、それを裏づける証言や資料を詳細に描いているが、驚くのは1937年、寛が最初の衆院選に出馬した際の選挙公約、いまでいう“マニフェスト”にあたる文書だろう。これは本書で初めて広く公開された貴重な資料だ。

〈若し政治と云ふものが国民生活の安定、大衆の幸福増進と云ふ事を意味するものならば、現在の政治は決して良い政治と云ふ事はできないのであります。一度び目を世相に転じる時は、年と共に貧富の差が甚だしくなって行くために、立派な頭脳と健康な体力を持ちながら、働くにも職のない多数の失業者がいます。
 働いても働いても生活の安定を得ざる労働者が充満して居ります。(中略)世相は凄惨を極めて居る状況にあります〉

 寛の出馬公約にはこのほか、苦境に喘ぐ国民を顧みない軍部の暴走、それを止められない既成政党への厳しい批判などが切々と綴られているが、この公約を紹介した上で著者の青木は寛の政治姿勢をこう解説している。

〈貧富の差への憤り。失業対策の必要性の訴え。生活が不安定な勤労者や農家、中小企業経営者に寄せる配慮。その一方、大資本や「財閥特権階級」に向けられた厳しくも辛辣な視線。(中略)政治を志した者が当然抱くだろう理想と理念、そして基礎的な知性と教養を備える一方、最底辺の生活にあえぐ人々の現実の生活を十分に知悉していた。目線は徹底的に低く保たれ、労働者や農村、そして中商工業者の代弁者になることを目指すのだと唱える庶民感覚を備えていた〉

 青木はさらに寛の政治姿勢を評価しつつ「どこぞの政権に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい」と痛切に皮肉っているが、「どこぞの政権」が何を指しているのかはあらためて解説の必要もないだろう。しかも当時は日本が戦時体制に突入し、軍部ファッショ体制が完成しつつあった時代だ。1933年には国連を脱退、1936年には二・二六事件が発生、そして翌1937年には日中戦争勃発。もちろん政界も軍部の圧倒的な力にひれ伏しており、その中で反戦や反骨を貫くのは容易なことでなかったろう。

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