〈私は安倍さんに近い人物から、「安倍政権ができるから、手伝ってほしい」と声をかけられて、その人物とあなた(高橋)を引きわせ、3人のチームをつくりました。当時、高橋さんは小泉政権の改革推進役だった竹中平蔵さんの補佐官をしていて、その後、安倍内閣が発足すると、内閣参事官として官邸入りした。
以後安倍首相に改革に向けた様々な政策提案やアイデアを出すようになるわけです〉
〈自分なりに目指すべきだと思う政策路線があった。そして、安倍首相という人物のもとで、高橋さんたちと一緒ならそれを提言できるんじゃないかと考えた〉
さらに、第二次安倍政権が発足すると、長谷川氏は経済政策だけでなく、外交や安全保障などでも、安倍政権を代弁するような主張を展開しはじめ、論調をどんどんエスカレートさせていった。たとえば、こんな調子だ。
〈秘密保護法が市民の思想の自由を侵すとか、あるいは戦前の治安維持法の復活というようなことが、マスコミでよく言われましたけど、これははっきり言ってナンセンス〉
〈私は、集団的自衛権については不可欠だと思います。やっぱり日本を取り巻く環境がこれまでとは全然違う〉(前出『ジャーナリズムの現場から』)
政策擁護だけではない。最近は「安倍内閣の改造人事に、思わず唸ってしまう理由」(「現代ビジネス」16年8月5日)、「安倍首相『真珠湾訪問』は、中国ロシアを牽制する絶妙の一手」(同12月9日)と、露骨すぎる安倍ヨイショまで語るようになっていた。
ようするに、今回の発言もたまたまではなく、こうした安倍首相への肩入れの延長線上で出てきたものなのだ。
しかし、だとしても、東京新聞の論説副主幹が沖縄ヘイトにまで加担するとは……。だが、長谷川氏をよく知るジャーナリストによると、それは別段、驚くことではないらしい。
「長谷川さんの場合は、極右に転向したということじゃない。もともと商売人というか、機を見るに敏なんですよ。財務省の審議会にいるときは財政タカ派、第一次安倍政権時代は規制緩和の旗を振り、民主党政権時代は官僚批判、第二次安倍政権になってからは、中国批判や民主党批判と、そのときどきの空気を読んで、一番、商売になりそうな主張に乗り換えていく。いまも、安倍政権に勢いがあって、右派的主張やヘイト的な意見がメディアでも受けているので、長谷川さんもどんどんそれをエスカレートしているというだけでしょう」
実は、長谷川氏がこうしたスタンスをとりながらなお、東京新聞論説副主幹という地位に居座り続けられたのも、この「商売上手」の結果らしい。再び前出の東京新聞関係者が語る。
「独自の編集方針で高い評価を得ている東京新聞ですが、経営権や人事権は発行元の中日新聞社が握っている。そこで、長谷川さんは長らく会長に君臨し、“中日新聞社の天皇”と呼ばれている白井文吾会長に働きかけて、副主幹に引き上げてもらったんです。当時長谷川さんもここまで露骨ではなかったですし、ひとりくらい政権にパイプのある論説幹部がいてもいいだろう、というくらいの感覚だった。ところが、その後、どんどん極右ぶりがエスカレートしていって、その言動については社内からも『さすがに論説副主幹はまずい』の声が上がり、実際に退任させようという動きも何度も起きた。しかし、そのたびに白井会長がかばい、留任してきたんです」