一方、振付のTAKAHIRO氏は、前掲「BRODY」16年5月号のインタビューで、
「この曲からは『社会のシステマティックさと、若者の自我の焔の両面を対比させた画』というイメージが伝わってきました。衝動や衝撃、若さの中の不安定さ、それに打ち勝つパワーをバランスよく表現しようと思いました。」
と語っているが、PVから伝わってくるのは、「社会のシステマティックさ」だけで、「若者の自我の焰」はほとんど感じられない。同曲ではサビ部分でセンターの平手友梨奈が、ナチス式敬礼にも見えるポーズでメンバーの群れをかきわけて前に進み出る振りがあるが、まさかこれが「若者の自我の焰」なのだろうか。
歌詞を考えた人間とPVのコンセプトを考えた人間が、本当に同一人物なのかと疑いたくなる。軍服風の衣装、軍隊の敬礼や行進を彷彿とさせる振付、突出したセンター……強いインパクトを求めるあまり、安易でわかりやすい「ファシズム」というファッションに飛びついたのではないか、という気もしてくる。
実際、欅坂46のファシズムファッションは「軍服」だけではない。メンバー全員が出演したテレビドラマ『徳山大五郎を誰が殺したか?』(テレビ東京)では、目の部分をくり抜いた紙袋を出演者がかぶっているシーンが何度も登場し、「これ、KKKっぽい」と、差別思想を掲げて有色人種に卑劣な暴力を加えたアメリカの秘密結社クー・クラックス・クラン(KKK)の服装との類似性も囁かれたこともある。
もちろん、こうした安易な仕掛けの裏には、秋元康の存在があるはずだ。最近の秋元康が欅坂46のセンターを務める平手を、かつての前田敦子や島崎遥香、宮脇咲良のように頻繁に観劇に同伴するなど寵愛していることはファンの間では有名な話だが、もちろん欅坂とのかかわりは、それだけではない。
たとえば「日経エンタテインメント!」(日経BP社)のインタビューで秋元は、
「欅坂46もオーディションに合格したメンバーと話したり、あるいは楽曲を選んだりしているうちに、なんとなく今の自分がやりたかったことはこういうことなのかなと気づいてきました。初めから『サイレントマジョリティー』での、笑顔がないアイドルを作ろうと思ったわけではないんです。」
また二曲目の「世界には愛しかない」についても、
「この子の雰囲気はこのセリフに合うなというように、誰がどこを歌うのかを決めていきました。
僕の中では女子高の演劇部みたいなものがあったら面白いんじゃないかというイメージがあって。例えば「舞台に立ったときに平手(友梨奈)が走ってきて、このセリフをどういうふうに言う?」というように、セリフの言い回しや解釈について話し合いながらレコーディングを進めたんです。」
と語っている。