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『とと姉ちゃん』反戦メッセージ封印の一方でモデル「暮しの手帖」編集部には「政治色が強すぎ」と批判が!

 しかし、こうした変化に対して、「昔のほうがよかった」「政治記事で『暮しの手帖』を壊さないでほしい」などと批判するのは、明らかに「暮しの手帖」がどういう雑誌か知らない人間の意見だろう。

 花森安治氏は1970年発行の「暮しの手帖」で、同誌のスタンスをこのような文章にして掲載している。

〈さて ぼくらは もう一度
 倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
 おしまげられたり ねじれたりして
 錆びついている〈民主々義〉を 探しだしてきて 錆びをおとし 部品を集め
 しっかり 組みたてる
 民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
 ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ
 ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ
 ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ
 それが ほんとうの〈民主々義〉だ〉(「見よぼくら一銭五厘の旗」/『一戔五厘の旗』所収、暮しの手帖社)

 この花森氏の文章にもあるように〈ぼくらの暮し〉こそを守ろうという確固たる思いが、「暮しの手帖」を唯一無二の存在たらしめてきたのだ。

 むしろ、そうした〈民主々義〉の雑誌を壊したのが、松浦編集長だった。現在は削除されているが、松浦氏は2011年の年末にFacebook上でこんなエピソードを紹介していた。

 その文章によると、松浦氏はある人に「今の「暮しの手帖」にジャーナリズムはあるのか、それともないのか」と尋ねられて、「いわゆる昔ながらのジャーナリズムはありません。しかし新しいジャーナリズムはあると思う」と答えたという。その上で「君の言う新しいジャーナリズムとは何か」と訊かれ、松浦氏はこう答えたという。

「悪人探しや間違い探しではなく、反権力でもなく、政治的主張によって存在を表すものでもなく、正しさの白黒をつけることでもなく、今日一日をあたたかく安らかに楽しく過ごすためや、少しでも今日の暮らしを美しくするための知恵や工夫を発見して、わかりやすく面白く伝えることです」

 松浦氏がこう言うと、〈その人は「花森安治の暮しの手帖も終わったな」と言って去っていった〉という。このエピソードを、松浦氏は〈今日あったほんとうの話です〉と締めくくっている。わざわざ〈ほんとうの話〉と記しているあたりから察するに、松浦氏は“あり得ない暴言を吐かれた”とでも感じたのかもしれないが、むしろ花森氏が守ってきた編集方針を知る者からすれば、「終わったな」と言われるのも当然の話だろう。

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