ロックやヒップホップというジャンルは生まれた当初から体制や大人の良識といったものに歯向かうものとして存在してきた。前述したようにKダブシャイン自身〈一部の事務所やスポンサー企業に関して触れないのいささか異様 もしかして業界ぐるみで偽装 つっこむと皆言う「あいつは不器用」〉(「自主規制」)、〈ネトネト粘着ウヨウヨ湧く 偉そうに言うほど強くもなく ほら一人の時すごく弱く また後で隠れくよくよ泣く〉(Kダブシャイン+宇多丸「物騒な発想(まだ斬る!!)feat.DELI」)など、社会的なトピックを扱う楽曲を多く発表してきた。猪又孝・編『ラップのことば』(スペースシャワーネットワーク)のなかで彼は、ロックやヒップホップというジャンルがもつ本来の役割を、ナズや忌野清志郎といった伝説的なミュージシャンを例にこのように語っている。
〈ロックにしてもラップにしてもカウンター・カルチャーとしての役割がデカイと思うから、そこを取ったら牙を抜かれた野生の動物みたいになってあんまかっこよくないんじゃないかな? ナズなんて『Hip Hop Is Dead』っていうアルバムとか、あとは『Nigger』なんてタイトルのアルバムを出そうとしたワケで、アイツは論争を呼ぶアルバムを常に出そうとしてるよね。みんなに批判されても、それが音楽の本筋だって感じてると思うんだ。忌野清志郎とかもそうだと思うし、俺もそういうアーティストでいたいと思ってる。何か論争を巻き起こしたり、言葉を喚起させたりするのが音楽の持つ潜在能力のひとつでデカイものだと思うし、そういう音楽に感化されて今のMCとしての俺ができているから、自分の音楽を表現しなかったら俺じゃないね〉
彼がこのように言うのは、ポップミュージックの大事な役割のひとつに、音楽に乗せて社会的なメッセージを届けることで、それに喚起された若いリスナーが社会問題について考えるようになるという啓蒙の役割があるからだ。だからこそ、ミュージシャンは自主規制などするべきではなく、現在の社会状況に疑問を感じているのなら、むしろ積極的に問題提起をするべきなのである。Kダブシャインはこのようにも語っている。
〈ヒップホップ文化もこの世に姿を現してから数十年経つけど、アメリカのヤツらが辿り着いた結論は「ヒップホップに大切なのは正直さだ」っていうことなんだ。俺も本当にそうだと思っていて、思ったことを正直に議論の場に持って行くことで次のステップに行けると思うから、みんなが事なかれでラップしてるんだったら、それはラップの意味がないんだよね〉(前掲『ラップのことば』)
Kダブシャインがこのような考えにいたったのには、高校時代アメリカに留学していた体験が大きく影響している。彼が渡米した1980年代の中頃はランDMCをはじめとして、まさにヒップホップがメジャーの音楽シーンを席巻しだした時期に重なる。
ヒップホップ系楽曲の爆発的なヒットにより、もともとヒップホップという音楽ジャンルを支持していた貧民街の黒人だけでなく、郊外に住む白人もパブリック・エナミーをはじめとした黒人差別問題に意識的なグループの楽曲を聴くようになった。
残念ながら今でも米国における差別問題は解消されておらず、むしろ2010年代中頃に入って差別問題は揺り戻している感すらあるが、1980年代中頃以降ヒップホップという音楽を通じて黒人と白人の若者が近づき、少なからず差別問題を解消の方向へと向けた役割は決して小さくはない。