たしかに、パリで生まれ育ち、パリの学校に通う小学生と中学生の子どもにとって転校、しかも異国の地である日本への転校は、抵抗があるのは当然だろう。客観的に見ても、人生を左右しかねない問題である。
だが、子どもたちは苦悩しながら、母親の人生を後押しした。ある日、12歳の娘が泣きながら雨宮にこう言ったという。
「でもママ、この仕事は諦めちゃダメだよ」
「ママはママの人生を生きてほしいけど、自分たちはこの環境を変えたくない」
12歳の雨宮の娘は自分の意思をはっきりと表明したのだ。それだけではなかった。子どもたちの意志を知った雨宮のフランス人のパートナーは、雨宮にこう言ったという。
「子どもたちの面倒を見る心構えはできているよ」
しかし、子どもたちは再び自分たちの意志を伝えてきたという。「その気持ちは嬉しい。でも、パパという選択肢はないの?」と。そのため前夫であるパティシエの青木定治氏に話したところ、引き受けると即答してくれたことから、雨宮の決心が固まったのだ。
日本で起こった“子どもを捨てた”といったゲスなバッシングがいかに事実無根であるかがよくわかるだろう。
しかも、重要なのは、この雨宮の話がたんに「心温まる親子のいい話」「感動物語」として語られているわけではないことだ。
親と子どもが依存しあうのではなく、お互いの意思をきちんと伝え合う。フランス社会にはこうした自立した親子関係が根付いていることを雨宮は提示している。
その結果、母親と子どもが離れて暮らす決心をしただけで「母親失格」「子どもを捨てた」とバッシングを繰り広げる、日本の母親観がいかに歪であるかが浮き彫りになったと言えるだろう。