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偏差値78、筑駒から東大じゃなくAV男優になった男が半生を激白! 「僕にとってエロこそが救いだった」

〈ちょっと生まれる時代がずれていたら社会に居場所はなかった気がします。捕まるまでいかないにしても、こうも生き生きとした人生を送ることはなかったでしょう。だから、AV業界には感謝の気持ちでいっぱいですし、心から、AV男優という仕事があって良かったと思っています〉
〈僕は人一倍コンプレックスの塊です。そのコンプレックスの種をどうにかしたいと思い、整形をしようかとか、いっそいなくなってしまいたいとか、いろんな方向でいろいろと考え悩みました。(中略)そんな僕が、セックスで相手と溶け合う瞬間は、自分のすべてを相手が受け止めてくれているように思え、それが勘違いだとしても、僕は僕でいいんだと思い込めて、許せ、受け入れることができます。まぁ言うほど悪くないじゃん自分も、と。どれだけ自分を嫌いになっている時でも、どれだけ嫌なことがあっても、将来に不安を感じどんよりした気持ちになっても、セックスで溶け合った瞬間、それらがとりあえずはどうでも良くなるほどの絶対的な全肯定感に包まれます〉

 しかし、森林原人という男優が面白いのは、セックスは「絶対的な全肯定」を与えてくれるものであり、また、セックスは「孤独への不安を解消するためのもの」と主張している一方で、その行為によってもたらされる快楽は、あくまで自分だけのものであり、共有できるものではないという諦めの気持ちもまたもっているということだ。

〈どれだけ共鳴できたとしても、相手の気持ち良さは相手のものであって、それによって自分が高まっても、それは自分の気持ち良さでしかなく、互いの気持ち良さを共有してるわけではないのです。つまり、相手の本当の感覚、気持ちはわからないということです。選ばれようが、受け入れられようが、つきつめれば自分の思い込み、自己満足です。
 ここを本当に勘違いして、相手とわかり合えたとか、通じ合えたと決めつけちゃうと、その感覚をセックス後まで引っ張ってしまい、相手に自分の思い込みを押し付けることになってしまうのです。そうすると、あの時はあんなに愛してくれたのにとか、あれは演技だったのとか、冷めたんだとか、相手を責めることになっていきます。でもそうじゃなくて、どれだけ気持ち良いセックスをしたとしても、それはその瞬間だけのもので、しかも自分の中で起こったことでしかないのです。相手ありきの行為がセックスですが、相手の気持ち良さを本当に自分のものにすることはできないのです。
 これに気付けて、セックスに対してすごく気が楽になりました。どこまでいってもわかり合えないと思うことで、変に期待しないで済み、がっかりすることはありません。(中略)セックスに意味を込めたり、何かの証と捉えたり、神聖化したりせずにいられるので、よけいに振り回されることはなくなりました〉

 彼はこの諦めの気持ちを肯定的に捉え、だからこそ変に構えないで人と関わり合うことができると語っているが、そのセックスや女性に対する捉え方を聞いていて、ふと頭に浮かんだのが、「これって、いわゆる“絶食系”男子の女性観、セックス観と重なる部分があるんじゃないか」という思いだった。そういわれてみれば、現在、37歳の森林はいわゆる絶食系の第一世代にあたる。

 先日、明治安田生活福祉研究所が20代未婚男性の53.3%、30代未婚男性の38.0%が、これまでの人生で交際した経験なしと回答したという調査結果を発表し大きな話題となったが、この草食・絶食化の波はAVにも押し寄せ、今の若者はほとんどAVを見なくなってしまった。

 もしかしたら、森林のような感覚を持っている人間が、AVと草食・絶食系男子の間に横たわる溝を埋めてくれるのではないか、そんな風に考えるのは楽観的すぎるだろうか。
(田中 教)

最終更新:2016.07.01 09:56

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