この太田の話に、杉村太蔵は「いい話だなあ」などと大げさに感心し、ネットでも「トム・ソーヤーの話よかった」「太田さん、さすが」などと称賛されていた。
9日発売の「週刊文春」(文藝春秋)も、男児の普段の行いなどを関係者コメントであげつらったあげく、太田と同じ『トム・ソーヤーの冒険』を持ち出し、こう説教していた。
〈名作「トム・ソーヤーの冒険」にこんなエピソードがある。父親に叱られた親友と家出し、行方不明事件を起こしたトムは、自分たちの葬式を行う教会に忍び込み、人々と涙の再会を果たす。だがその後、教師は英雄然としたトムの尻を鞭で打ち、反省を促すのだ。〉
しかし、太田も「文春」も完全に誤読というか、勘違いしている。たしかに『トム・ソーヤーの冒険』にはトムが家出をして行方不明になり、自分たちの葬式にあらわれ町のみんなをびっくりさせる、というエピソードがある。
しかし、このエピソードに教師からお尻を鞭打ちにされるなどというオチは存在しない。トムを育てているポリーおばさんに「一年分よりもっと多くのゲンコツとキスをもらった」うえ、「なかなかいい冗談だったけど、私をこんなに心配させるなんて。せめて私だけには、死んでない、家出してるだけって知らせてくれたらよかったのに」と愚痴られるくらいだ。
そして、トムはまったく反省などせず、そのあとも学校でヒーロー然としてふんぞり返りパイプをふかしながら武勇伝を披露する。学校のみんなはそんなトムに羨望のまなざしを向けており、とがめる教師やほかの大人はいない。調子に乗ったトムはおばさんにさらに噓をついたりもするが、結局おばさんのほうが「許すよ、許すとも。百万の悪さをしでかしても、これであの子を許せるよ!」と号泣してこのエピソードは終わる。
行方不明事件のあと教師に鞭打ちにされるというのは、1980年代に放送されたアニメの『トム・ソーヤーの冒険』と混同したのかもしれない。といっても、アニメ版でも鞭打ちにされたあと、トムは反省なんかしていなくて学校でヒーロー扱いだった。
断っておくが、太田の細かい記憶まちがいをあげつらいたいわけではない。問題は、太田が『トム・ソーヤーの冒険』の訴えたいことを180度正反対のものとして読み替えていることだ。
たしかに『トム・ソーヤーの冒険』では、ドビンズ先生という中年男性教師が、トムら子どもたちが悪いことをするといつものように何十回も鞭打ちにするというのが物語のお決まりになっている。
でも、それは太田が語ったような“正しいしつけ”として描かれているわけでなく、「大人」「偽善」の象徴だ。