たとえば、現行の日本国憲法の第13条は、《すべての国民は、個人として尊重される》と書いてある。しかし、改憲草案では、《全て国民は、人として尊重される》となっており、「個人」ではなく「人」に変更されている。いわば、それぞれがもつ「個性」を否定し、「犬・猫・猿・豚などとは種類の違う生物」程度の扱いになっているのだ。
憲法上で「個人」が「人」に置き換わることの意味。自民党は改憲草案のQ&Aのなかで、こう記している。
《人権規定も我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました》
天賦人権説とは、人は生まれながらにして人間としての権利、つまり「人権」をもっているとする考え方。自民党は改憲によって、この人類普遍の原理さえ奪おうとしているのだ。これでは北朝鮮と同じような国になるだろう。
ブレーンとして自民党の「改憲マニア」たちと付き合ってきた小林氏は、自民党の“言い分”をこのように解説する。
「国民が個々に好き勝手しているから、共同体が崩れ、モラル・ハザードが起きたんだ、というわけです。その主張には、一見、非常に説得力がある。彼らはこう言うんですね。最近、妙な殺人事件が多いでしょう、子が親を殺し親が子を殺すでしょう、それは「個人」などと言って、子供に勝手をさせるからです。家族がバラバラだからです、それは、「個人」を主張しすぎる憲法が悪いんですよと。
実際のところ、凶悪事件の件数は戦前より減っていますから、そこからしてなんの根拠もないんですがね」
詭弁を弄して個性ある存在としての「個人」や「人権」の考え方を排除しようとする自民党だが、恐ろしいのはこれだけではない。彼らは同時に、「国民に多くの義務を課そうと躍起」になっているのだ。
「自民党の勉強会では、こんな話を議員たちからたびたび聞きました。「国民は自分の権利ばかりを主張して、公のためを考える気持ちを忘れている」「日本国憲法のなかには『権利』という言葉が二十数回、出てくるのに、国民に課せられる義務は三つだけじゃないか」「国会議員には、憲法擁護義務などという面倒なものもある」」(小林氏)
事実、改憲草案12条には、《自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し》という文言が追加されている。だが、憲法における「権利と義務」というものは、「権利があるなら義務もあるはずだ」というような代償的な関係にはない、と小林氏は指摘する。