小説、マンガ、ビジネス、週刊誌…本と雑誌のニュース/リテラ

平安時代ならベッキーも矢口も喜多嶋舞も叩かれなかった!? 春画で話題の江戸時代より平安のエロのほうが過激

 たとえば、『蜻蛉日記』には、お正月に女性同士で集まり、性的なメタファーを含んだ和歌をうたいあって笑いながら新年を祝うシーンが描かれ、また、『源氏物語』は雅な性愛の描写が「歌」というかたちをとり巧みな隠喩で盛り込まれている。ここには江戸時代の文化にあったような差別意識に満ちた「性」は描かれていない。この違いはどこから来るのであろうか。大塚氏はその理由を平安貴族たちは母系的な社会であったからだと分析している。まず、母系的な社会とはどんな社会のことなのか。

〈そもそも母系社会とは、「祖母、母、娘というように、代々女性の血縁関係(出自)をたどって、社会集団をつくりあげ、相続・継承の方法を決定する」(須藤健一『母系社会の構造』)社会のことで、日本では厳密な意味での母系社会はなかったという説もありますが、貴族社会は長い時代を通じて「母系的」であったことが結婚形態などからうかがえます。
 母系社会の主な結婚形態は、夫が生家から妻方へ通う「妻問い婚」と、夫が妻の実家に入る「婿入り婚」(婿取り婚)。日本では、武士が台頭する鎌倉時代までは、この二つのミックス形態が主流で、婚姻時は、夫が妻方に通ったり、妻方の実家に住み込んでいたものが、夫婦に子供が生まれるなどすると独立するのが常です〉

 このような母系的な社会では女性にとっての「性」は、開放的になるのだと言う。

〈こうした母系的な社会では、娘が大事にされるのはもちろん、女の性に対する締め付けが非常にゆるくなります。
 財産が父から息子へ継承されるため、「どの父の子であるか」が問われる父系的な社会では、女の貞操は厳しく追及されます。せっかく築いた財産が違うタネの子に受け継がれたら一大事だからです。
 一方、母から娘へ財産が継承される母系的な社会では、「どの母の子であるか」は疑う余地もないため、極端にいえば「父は誰でもいい」ということになる〉

 母系的な社会では、このようなプロセスで女性の「性」は開放的になっていく。そして、現在とは趣を異にした「エロい女がエラい」という価値観まで生まれてくると言うのである。

関連記事

編集部おすすめ

話題の記事

人気記事ランキング

話題のキーワード

リテラをフォローする

フォローすると、タイムラインで
リテラの最新記事が確認できます。