恩義どころか、SMAPは“産み捨て”状態にあったのだが、そんなときSMAPの担当となったのが、今回の騒動の主人公である飯島氏だった。飯島氏はもともと事務職としてジャニーズ事務所に勤務していたのだが、SMAPの状況を見かねて「わたしにやらせてください」と直訴し、マネージャーに。そこから事務所のバックアップなしで、ひとりで売り込みに走り回り始めた。
足繁くテレビ局、雑誌編集部に通いつめ、自ら企画をたてて持ち込む。そして飯島氏は当時、アイドルが本格進出していなかったバラエティ番組に目をつけ、粘り腰で交渉した結果、ついに『夢がMORIMORI』のレギュラーを獲得。これがきっかけとなって、SMAPはブレイクへのきっかけをつかむのだ。
その後も飯島氏は新しいファンを獲得し、SMAP人気を拡大させるために、これまでのジャニーズアイドルにはありえなかったさまざまな新機軸を打ち出していく。
そのひとつがトレンディドラマへの出演だ。いまではアイドルがドラマで主演を張ることは何も珍しいことではないが、当時はトレンディ俳優全盛期で、アイドルドラマ枠でもないかぎり現役ジャニーズがトレンディ枠に入り込む余地などまったくなかった。しかし、飯島氏はこの状況に風穴を空ける。
93年、月9の『あすなろ白書』に木村が出演するのだが、このとき、飯島氏はジャニーズの掟というべきものを打ち破った。
というのも、このドラマでの木村の扱いは3番手だったからだ。それまでのジャニーズ事務所は「ウチの大事なタレントを2番手、3番手になどできない」と主演以外は突っぱねてきた。だが、飯島氏は木村の可能性に賭け、チャンスを捨てなかった。結果、木村は「俺じゃダメか」とヒロイン役の石田ひかりを後ろから抱きしめる告白シーンで人気が爆発、一気に注目のトレンディ俳優に仲間入りを果たしたのだ。
もうひとつ画期的だったのが、草彅剛の売り出しだ。飯島氏はずっと“SMAPのお荷物”扱いだった草彅を売り込み、97年、『いいひと。』に主演させたのだが、これもそれまでの“ジャニーズ=イケメン待遇”というルールをくつがえすものになった。以降、草彅は幅広い役に挑戦し、演技力の面で大きな評価を得ていった。