明治日本の近代化、そしてその結実として日露戦争を肯定的に描いていることから、愛読書にあげる保守政治家や右派論客は多い。
たとえば、「「坂の上の雲」日本人の奇跡」(文藝春秋/2010年12月臨時増刊号)という『坂の上の雲』をテーマとしたムックには、安倍晋三をはじめ、石破茂、櫻井よしこ、中西輝政、葛西敬之といった右派の面々がこぞって寄稿している。
「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝にいたっては、『坂の上の雲』をきっかけに“自由主義史観”なるトンデモ歴史観をもつようになったというのは有名な話だ。西尾幹二の『国民の歴史』でも日露戦争を自衛の戦争とし、「司馬遼太郎氏は、日露戦争の原因は基本的には六対四の割合でロシアに責任があり、そのうち八割ぐらいはニコライ二世という皇帝の性格に原因があると言っていた」などと司馬の名前を持ち出す。
安倍首相も、先述のように明治の産業革命遺産の世界遺産登録を『坂の上の雲』と呼んだり、facebookで「「まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている」司馬遼太郎作「坂の上の雲」の冒頭です。テレビドラマ化されご存知の方も多いと思いますが、その小説の舞台でもある愛媛県は松山市にやって参りました」などと得意気に『坂の上の雲』の一節を引くこともあった。
安倍首相はじめ右派の政治家や論客たちが、強い日本=明治への憧憬を口にするとき心の拠り所としている、『坂の上の雲』だが、しかし、実は、当の司馬遼太郎は生前『坂の上の雲』が、右派の拠り所となることを危険視していたというのである。
映画プロデューサー・山本又一朗氏が『文學界』(文藝春秋)11月号のインタビューで、挫折した企画でいちばん思い出に残っている作品として『坂の上の雲』をあげ、司馬に映画化権の獲得交渉に出向いたエピソードを披露している。
アポなしで大阪に行き「1週間や10日ぐらいだったらお待ちしますから、ぜひお時間をください」という山本氏の熱意に押されたのか、司馬は山本氏を自宅に招き入れた。当初30分という約束だったのが「3時間40分もの大論争」になったという。
というのも、司馬が映像化を強く拒否したからだ。
「山本さん、私はミリタリズムだとかナショナリズムというのは賛成できないんですよ。人は住民の単位で生きていけばいいと思っています」
「線を引いてここからが自分の土地、向こうがあちらの国、その結果、奪い合いをしてどっちが得したとか損したとか、そのために兵をあげてどうするとか、そういう話はストーリーだから書きますけど、それを映画なんていうものにされたら、影響力が大き過ぎて、いろんな人がそういうものに血気盛んになられても困るんです」
こうした司馬の言葉に説得力を感じながらも山本氏は、現代の若者は生きる目的さえなくしている。『坂の上の雲』の時代は一個人が天下国家を動かせた、一個人が重要だった時代だ。だから「現代の若者に、おまえひとりで国が変わるんだよ、己の力をちゃんと見つめ直せ、と言いたいんです」と、国ではなく個人を描きたいのだと食い下がる。
この山本の切り返しに司馬は「口の立つ方ですな」と感心するが、それでも司馬の意志はかたく、「山本さん、お願いです。他にもいっぱい書いた小説がありますから、他のものに目を移してください。『坂の上の雲』は一切やらせるわけにはいかない。ノーです」とキッパリ断られたという。