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生徒を4時間監禁、竹刀が折れるまで…新文科相の馳浩と副大臣の義家弘介が教師時代の体罰自慢対談

「私は朝七時前には必ず学校に行き、職員会議が始まるまでの時間を校門に立って口うるさくやりました。爪、スカートの丈、髪型など。私の場合は終始怒鳴らなくても済んだんですね。というのは私が教員になってすぐに五輪の代表に選ばれましたし、私の身体を見れば生徒は『馳は怒らせると怖い』と分かるのです。生徒は逆らったら怖いとビビっているから、むしろ『怒らせると怖いけれども、そうでなければ普通に話せる』と思わせるよう、授業の始まりにいろいろな話をして気をつかっていましたね」

 いたいた〜こういうコワモテの先生、と、さすがに義家氏と比べると常識の範囲内だったかと胸を撫で下ろしたのも束の間、

「では殴ったことがなかったかと言えば、必ずしもそういうわけでもない。私は高校のレスリング部の監督を務め、石川県で強化委員会をやってましたけど、私の高校はそう強いチームではなかったのです。ですから一週間に一本ぐらいは竹刀が折れていましたよ」

 ……馳、お前もか! どう見たってコレ、竹刀が折れるまで生徒をぶん殴りりましたってことだろう。しかも続けて「理由はハッキリしている。短期間でチームをまとめ、強くするには基礎体力をつける以外にない」なんてしれっと言っているのだが、ようするに“集団に貢献できないものは暴力制裁によって従わせる”という軍隊的発想だ。

 そもそも体罰の多くは、子供にとって肉体的痛みよりも、心理的ないしは精神的痛みの方がはるかに大きい。仮に、竹刀が折れるまで馳氏が殴ったその生徒が、その後レスリング選手として大成しようとも、義家氏が四時間も教室に監禁してボコボコにしたいじめ加害生徒が「更生」しようとも、その子たちの心の傷は一生消えないし、教員が暴力行為にでることを目の当たりにした他の生徒たちにも、むしろ「言うこときかないヤツは暴力で締め上げてもいいんだ」という誤った認識を植え付けてしまうのではないか。

 だが、考えてもみれば、安倍政権が「教育改革」を旗印に行ってきたのは、教育基本法改正による「愛国心」の押し付けや、道徳の「特別の教科」化による思想統制。体罰や暴力支配がこれらと相性がよいのは歴史が証明しているわけで、馳氏や義家氏の「生徒指導」は現政権の意向とぴたりと一致するのかもしれない。

 事実、第一安倍政権の教育職員免許法改正により、教員免許は10年の更新性となったが、前述の対談で馳氏は、個々の教員や教育システムに対するさらなる国家の介入を提言している。

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