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集中協議決裂で翁長知事が政府の不誠実対応を全暴露! 安倍首相に「日本を取り戻す、に沖縄は入っているか」と迫ったら…

 安慶田副知事が辺野古移設はそもそも手続きとしても正当性を欠いていることを政府側に説明した際も、同じだった。

 辺野古移設案の変遷を要約すると、まず1996年、橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使の会談で、米軍普天間基地を5年から7年以内に日本に返還すると合意。ここでは辺野古移設案は提示されていない。辺野古移設案が出てきたのは小渕政権下の98年で、稲嶺恵一氏が沖縄県知事に当選、軍民共用で使用期間を15年に限定して認めたのが最初だ。これを受けて翌年の12月28日、小渕内閣は普天間基地の代替施設としての移設候補地を「キャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域」とする旨閣議決定を行った。だが、この案は小泉政権下の2006年5月30日に廃止の閣議決定をされている。

「そういう意味からすると、私たちは辺野古案が唯一という政府の考え方はおかしいんじゃないかというのを私たちは感じています、と言うと返事はありませんでしたし、ただ聞いていました」(安慶田副知事)

 ようするに、辺野古移設は、歴代政府の決定として一度廃案になっているのだ。しかし、そのことについて沖縄側が丁寧に説明しても、安倍首相たちは返事もせず「ただ聞いてい」ただけだったというのである。

 これはもはや“国策を貫き通す”という一方的な姿勢というだけの問題ではない。沖縄側がどんなに真剣に語ろうがまともに取り合わないまま、協議したという事実だけをアリバイにして、これからも沖縄に基地負担を強制し続ける。これは“沖縄の切り捨て”としか言いようがない。

 しかも、集中協議の最後、辺野古移設の強行を宣言した菅官房長官の態度も非常に狡猾なものだった。

「これからも交渉、協議を続けたいと官房長官、話がありましたので私は、そうするとこの辺野古の中断は再開ですか?という話をしましたら、そうさせてもらいますというので、私からすると全力を挙げて阻止をさせていただきますということで、最後締めくくりました」

 翁長知事は会見の後の質疑応答の中でこの政府側の姿勢についてこう解説を加えている。

「総理がまず最後に触れて、出て行かれて、それから菅さんが具体的に話をされたので私の質問になりました。私が質問しなければおそらく今日は何の話で締めくくったか分からなかったと思いますが」

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