しかし、戦争の「当事者」たちが鬼籍に入っていくなか、こうした歴史修正にどうすれば抗うことができるのか。高橋氏はこの問題を前にして、現在の“戦争作品”を手がけた若い世代の作家たちの名を挙げる。前々回に芥川賞にノミネートされた、ニューギニアの野戦病院を舞台にした戦争小説『指の骨』(新潮社)の高橋弘希と、沖縄のひめゆり部隊に着想を得たマンガ『cocoon』(秋田書店)の今日マチ子、それを舞台化した藤田貴大だ。
この3人は全員30代だが、高橋氏いわく「自分が七〇年前に戦場にいたらこんなふうに感じただろう」と、同じことを言うのだと述べている。そして、「彼らが戦場を描写するのは、ある意味必然なのかもしれない」と言う。彼らは、就活、格差、貧困という社会のなかで、「物としての砲弾は飛んでいないけれど、ぼーっとしていると後ろから撃たれて死んでしまう」という「戦場感を持っている」のではないかと高橋氏は説明するのだ。「豊かな経済の恩恵を受けてきた」団塊の世代よりも、いまの20・30代のほうが「戦争中の人たちの感覚をダイレクトにわかる」のではないか、と。
「僕は、そういうことが、来るべき社会を変えていく礎の一つになるんじゃないかという気がしているんです」
「親から受け継いだ戦後生まれの我々の記憶は、たぶんそういう若い人へのサポートで継承されていくのかなと思います」(高橋氏)
これは、この社会のかすかな希望だ。70年前を生きた人たちを想像すること。声に耳を傾けること。70年前のきょうという日と70年後のきょうが、どんなふうに繋がりあっているのかを考えること。「数」を絶対視したり、敵と味方に分ける「わかりやすい」論理にかどわかされないこと。それは、わたしたちが生み出すことのできる希望となるはずだ。
(水井多賀子)
最終更新:2015.08.15 12:31