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宇多田ヒカルを苦しめ続けた“家族という呪縛” 出産報告がアルバムの宣伝なんかのわけがない!

 そして、結婚を通じても親から離れることのできなかった彼女は、ついに、親のために始めた音楽からもいったん身を引くことになる。10年に発表した「『人間活動』に専念」することによる休業宣言である。

〈そうっすねぇ……あんまり生きてる感じがしないんです〉
〈『何かをしたい!』とか、『何かを成し遂げたい!』とか、『遊びに行きたい!』とか、『これ食べたい!』とか、『おしゃれしたい!』とか、あんまないんですよ〉
〈元々積極的じゃないんですよ、人生に対して。『こうなって欲しい!』とか思わないから。『こうなって欲しい!』と思ってると、思い通りに行かない時に辛いじゃないですか〉(「MUSICA」FACT/ 07年3月号)

 このように必死に自分を無くし、親のために生きてきた彼女による、初めての自立の宣言だった。

 そして、宇多田ヒカルは、親からも日本の音楽業界からも離れロンドンへと旅立っていく。

 この期間、デジタルシングルの断続的なリリースやラジオ出演はあったものの、表立った活動はほぼないまま、いまに至る。

 音楽活動の休止を決意した時点で彼女の親からの独り立ちは大きな一歩を踏み出していたのだろうが、彼女の“家族という呪い”から解放したのは、前述した年下のイタリア人、それも、前夫とは違い業界も違うバーテンダーとの結婚であった。

 しかし当初、この結婚には心配の声もあった。というのも、イタリアは家族・親族の結びつきを重んじる文化で知られる。前夫・紀里谷和明との離婚理由について「彼の理想は(公私ともに)一体化することで、でも私はそうじゃなかった」と語るなどベタベタした家族関係から距離をとろうとする宇多田が、イタリアの濃密な家族関係に耐えることができるのか、と。実際、結婚式でも、宇多田が厳戒態勢をとるなか、家族同然に祝おうと村中の住民がつめかけるという騒動が起きていた。

 だが、逆に、その結びつきの強い家族のなかに入るということが、宇多田にとって良い方向に動いたようだ。

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