出版界のなかでも、一般の新聞やニュースでも報じられるなど、まだ話題性を保っているといえる芥川賞と直木賞だが、それもいまや風前の灯火。先述のベストテンに両賞の受賞作が1冊も入っていないように、かつてほどは受賞作の売上げが伸びなくなっており、本屋大賞に大きく水を空けられている。とくに芥川賞は、石原慎太郎が選考委員を辞めてから選考の質がよくなったと言われるが、話題性やセールスという面ではかなり地味になっているのは否めない。……ここでもし、お笑い芸人が初の芥川・直木賞を受賞すれば、ミリオン必至の大きな話題になることは火を見るより明らか。芥川・直木賞を主催する文藝春秋としては、なんとしても仕掛けたいと考えているはずだ。
だが、ここで浮かんでくるのは、お笑い芸人としての又吉にとって、芥川賞作家という〈額縁〉ははたしてプラスになるのか、という疑問だ。むしろ、作家としての成功は、芸人ピース又吉を殺すことになるのではないか。
ビートたけしはかつて「お笑いとは絶対につかまらない運動のことである」と語ったことがあるが、あらゆる表現のなかで、お笑いはもっとも速度の速いもの、スピードのあるものだ。つねに価値観を相対化し、転倒させなくてはいけない上、反射神経も求められる。そして、権威化し、人に気を遣われる存在になると、途端におもしろくなくなってしまう。軽い存在であり続けることが必要なのだ。笑いを求めるならば〈額縁〉などはいらない、変幻自在なほうがいい。小説や映画という別の表現に手を出すと、スタティックになって、お笑い芸人としては終わってしまう。そう、世界的な映画人となった北野武や、天才ともてはやされて今では裸の王様になってしまった松本人志のように。
そもそも、ピースが失速してしまったのも、相方・綾部祐二のペニオク騒動に加え、又吉自身の“文化人”化も影響しているように思えてならない。これで芥川賞なんて獲ってしまったら……。
といっても、もうすでに、又吉は小説から逃れられないところにきてしまった。出版界はもう絶対に又吉という額縁を手放さないだろう。もしかすると「火花」というこの小説がピース又吉の芸人生命にとどめを刺すことになるかもしれない。
(田岡 尼)
最終更新:2015.07.16 11:03