歴史を変えてでも第二次世界大戦に勝利したいという、この歴史修正の欲望ほど愚かなものはない。起こってしまった事実は変えようがないものであり、現代の人間が歴史を学ぶ上で重要なのは「なぜ当時の社会は誤った判断をしてしまったのか?」「同じ過ちを繰り返さないためにはどうすればいいか?」ということだからだ。そもそも歴史の流れを変えるというテーマに基づく物語を作るのであれば、なぜ第二次世界大戦という出来事そのものを回避しようという方向にならないのだろうか。国力の差を考えれば日本がアメリカに勝利する可能性など最初からなかったというのが常識的な結論だろう。
それを後知恵で「あのときああしていれば勝った」としてプライドを維持しようとするのはまさに、歴史修正主義的発想としかいいようがない。
前述のとおり、ミリオタは政治や歴史認識などどうでもよく兵器そのものを愛している層も多いため、こういった史実を塗り替えようというストーリーは必ずしも求められていない。にもかかわらず、こんな展開になっているのは、作り手が「戦前の日本は素晴らしかった」「日本が敗戦したのは何かの間違いだった」と考えている歴史修正主義的思想の持ち主か、あるいは、そういう思想をもったネトウヨをユーザー層と想定していたからではないのか。
しかも、日本が太平洋戦争に突入していった時代の流れを「強い力」「定めの軛」と呼んでいるのも、太平洋戦争を「自存自衛の戦争」「大東亜共栄圏を作り上げる意義のある戦い」と叫ぶネトウヨのメンタリティそのものだろう。
また、戦争の悲惨さ、残酷さがまったく描かれていないところにも歴史修正主義との共通点がある。制海権を奪われたのならば物資が欠乏し、悲惨な状態のなかで戦闘をしいられるはずだが、『艦これ』アニメで描かれる生活には窮乏した所がまったくない。鎮守府への直接攻撃でも、民間人への被害はまったく出てこない(というか、そもそも民間人が出てこないのだが)。戦争の負の側面を一切描こうとしないのである。
日本刀や『とうらぶ』ブームと右傾化は何の関係もないし、ミリオタ=ネトウヨではないということも確かだ。また、『艦これ』をプレイしているユーザーもそうだろう。しかし、だからといって『艦これ』というコンテンツにそういう思想が入り込んでいないわけではない。
擬人化美少女に萌えるのは大いに結構だが、萌えているうちに「日本が敗戦したのは何かの間違いだった」なんていう自己慰撫的思想にはまらないようせいぜい気をつけていただきたいものである。
(東池誠之)
最終更新:2018.10.18 04:24